「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 やがて焦れたように、アンジェリカがヴィルヘルムの胸をとんとんと叩いた。
 一瞬だけ、ヴィルヘルムは形のいい眉を寄せる。けれど、そっと長い口づけを終えた。

「こういうことだ。貴殿に覗きの趣味があるのだというのなら、このまま我らの閨をご覧にいれようか?」

 いい加減にしてほしい。今でも十分見せつけられているのに、これ以上などたまったものではない。

「恐れながら」

 膝を突いたまま、使者は顔を上げる。しかし自分とて、ブロムステットを背負ってこの場にいるのである。「はいそうですか」と帰ることができるような、子供の使いではない。

「私の言葉を伝えていただけないのならば、こちらにも考えがある」

 ヴィルヘルムは右の人差し指をくるりと回した。
 ひゅん、と風の音がする。使者の耳の後ろで風が逆巻くのを感じる。

「できれば私も、手荒なことをしたくない。貴国は大切な、妃の故郷であるから」

 項の辺りが、ひんやりと冷たい。
 ひた、と空気の刃が押し当てられている。このままヴィルヘルムはほんの少し身じろぎするだけで、使者の首を刎ねることができるだろう。

 そうだ、この王太子は卓越した魔法の使い手だった。その力でファーレンホルストは長く他国の侵略を退けてきた。だからこそ、当初はブロムステットも婚姻による和平を望んでいたわけで。
 
「承知、つかまつりました」

 自然と頭が下がる。これは儀礼ではなく、確かな畏怖によるものだ。

「アンジェリカは確かにこの私が幸せにする。何の心配もないと、ブロムステット王にしかと伝えよ」

 頭の上から降り注ぐ言葉に、使者はただただ平伏することしかできなかった。
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