「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
「何が嬉しいのですか」

 振り返れば、そこにあるのは変わらぬ端正な顔立ちだけである。けれど。微妙に表情の変化はあるのだ。アンジェリカはやっと、それが少しずつ分かるようになってきた。

「ああいや、君と普通に話ができるのが嬉しくてな」

 そんな風に直截に返されたら、なんて言っていいのか分からなくなる。慌てて寝台に手をつくと、ヴィルヘルムの左手と重なった。

「はっ」
 慌てて手を引っ込めようとしたら、きゅっとその手を握られた。灰青の目が真剣な色を帯びている。

「何もそんなに嫌がることはないだろう」
「別にいやがってる、わけじゃ」

 そう、いやなわけではない。

 互いにあったわだかまりのようなものは、緩やかに溶け落ちた。けれど、ふとした時に浮かび上がってくる気恥ずかしさだけは、まだ消化しきれていない。

 手なんか何度も繋いでいる。というかもっと、それ以上のことだってしたのに。
 どこかぎこちなく手だけが触れ合ったまま、見つめ合った。

「もっとゆったりと過ごしてくれていい」

「いや、でも」
 ここはヴィルヘルムの居室だ。なんとなく所在なげで、アンジェリカは寝台の上でちんまりと正座をしていた。

「夫の部屋に妻がいても何の不思議もないだろう」

 そう言われれば、確かにそうである。こんなやり取りを、前にもした気がした。

「はい」

 アンジェリカは足を崩して寝台に座り直す。

 さてこういう時、どうしていたんだろう。例えば十六歳のヴィルヘルムとは、と考えたところで、彼はこういう気まずさを少しも気にかけない人だったことに思い至った。

 アンジェリカが呆然としていても、それを軽やかに飛び越えていつの間にかこの膝の上に寝転んでいたのである。

 ああ、そうだ。この手があった。

「あの、膝貸しましょうか?」

 これなら、きっとヴィルヘルムも喜んでくれるだろう。そう思って、自分の膝をとん、と叩いて示した。

 けれど、夫は露骨に顔を顰めてしまう。ただ灰青の目は、じっと食い入るようにアンジェリカの膝へと向けられている。

「いや、ですか?」

 今度は自分が訊ねる番だった。そもそも彼がどうしてあそこまで膝枕なるものに夢中になっていたのか、アンジェリカには分からないのだけれど。

「返さなくていいですよ?」

「違う。そうではなくてだな……」
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