「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
「そもそも、惚れた女に母親に呼ばれていた呼び名で呼ばせようとしたのが、()はどうかしている」

「大事な呼び名なんですもの。別に構わないと思いますけど」

「全然良くはない。マザコンもいいところだ。俺は君に、母親を求めているわけじゃないんだ」

 受け入れるように、ヴィルヘルムが両手を広げてみせる。

「俺も、君に甘えられたい」

 わたしと同じことを、この人も思うのか。

「あとできれば、十二も年下の自分に負けたばかりでは、いたくない」

 無心にその胸に飛び込むことを許されるほど、わたしももう幼くはないのだろうけど。

「おいで、アン」

 続く言葉に、体が勝手に動いてしまった。見れば自分の小さな頭はヴィルヘルムの腕を枕にしたかと思うと、肩辺りに当然というような顔をして収まっている。

「俺をどう呼ぶかは、君が自分で何か考えてくれ」
「わたしが考えて、よいのですか?」

 にやりと笑って、男は満足げにぎゅっとアンジェリカを抱きしめる。

「他に誰がいるんだ」

 あたたかなその体温に包まれれば、懐かしささえ感じる陽だまりの匂いがする。それが彼が好んで纏う落ち着いた木々の香りとやわらかに混ざり合って、ひどく胸がときめいてしまう。

「どうせずっと一緒にいるんだ。ゆっくり考えるといい」

 当たり前のようにヴィルヘルムが語ってくれる未来が嬉しい。
 広い背に手を回して、確かな胸板に額を預けた。そのまま深く息を吸う。

「そうですね」

 アンジェリカはうっとりと目を閉じて、惹かれてやまないヴィルヘルムの香りに存分に浸った。
< 81 / 94 >

この作品をシェア

pagetop