「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 そのまま、気遣うように腰に手を回してくる。

「それより体の方は、大事ないのか」

 あれから、アンジェリカは子を授かった。

 両王家の血を引く子は、何よりも強い結びつきとなるだろう。内心は未だに娘を駒として使いたかったであろう父王も、さすがに取り下げた。

 先日はそれなりに盛大な懐妊祝いの品が届いていた。あんな人でも孫が生まれるというのは嬉しいらしい。
 あと三月もすれば、この子も生まれてくる。今はただ、それを願うばかりだ。

「ええ、つつがなく」
「そうか」

 けれどそれを伝える度に、ヴィルヘルムはわずかに苦々しい顔をする。悔しいと安堵を綯い交ぜにして、少しだけ安堵が勝ったような。

 初産にはなにかと不調が付き物だともいうのに、悪阻もなくアンジェリカは不思議と健康そのものだった。それはまるで、見えない何かに守られているみたいに。

 ゆえにうっかり今まで通りに動き回ってしまうことがあって、ヴィルヘルムにもクレアにも――挙句の果てにはグレンにまで泣きつかれた。仕方がないので最近はそれはもう、ゆっくりと歩いている。

「では」

 きゅっと、ヴィルヘルムはアンジェリカの手を握ってくる。近頃はずっとそうだ。

 おそらくアンジェリカが転んだりしないように、ということなのだろうが、過保護すぎる。生まれる前からこんなにも心配性で大丈夫なのかと、アンジェリカはこっそり思ったりもする。

「大丈夫ですよ」
 もうむやみに走ったりはしないのに、と自分が言っても夫はこの手を離してはくれなかった。

「どうだか」
 ちらりと切れ長の目はアンジェリカを見やる。

「君は目を離すとすぐ、走ったり木から飛び降りたりする。風船と同じだ。こうしておくのが一番いい」

 それを言われると、アンジェリカはもう何も言い逃れができない。

 これを断れば、冗談ではなく彼はずっとアンジェリカを抱えたまま過ごしかねないところがある。そうなると、この足は子が生まれるまで地を踏むことはないだろう。

「俺はもう、この手を離さないと決めたんだ」

 ヴィルヘルムの手は、自分の手を包み込んでくれるぐらい大きい。このぬくもりこそが、アンジェリカの依り処だ。

「行こうか」
「はい」

 重ねられた手をアンジェリカは握り返す。華やかに飾り付けられた王宮の廊下を二人は揃って、王太子の生誕の宴へと足を進めた。
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