「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 何せ今日は彼の誕生日だ。もっと嬉しそうな顔をしていてもいいはずなのに、その整った顔に拭い去れない不満の色が浮かんだ。

「俺はこれで二十九になった」

 諦めたような拗ねたような声が言う。
 それは、知っている。

「俺は君より七つも年上だ。どこからどう見ても立派なおじさんだろう」

 そのまま天を仰げば、美しい銀髪がはらはらと流れて輝いた。裏腹に端整な顔が歪んで、絞り出すように彼は溜息を吐いた。

 ――なんだよ、おばさんじゃないか。

 そう突き放された日のことを、思い出す。たまらずアンジェリカは笑みをこぼした。

「ふふふ」
「何がおかしい」

「いえ。わたしはあなたをおじさんだと思ったことはございませんわ」

 全ては鏡合わせのように、向かい来る。言っていることは真逆なのに、そっぽを向く様がそっくりだった。

 きっといつまでも、その面影をどこかに探してしまうのだろう。
 けれど、わたしの愛した人はちゃんとここにいる。その指先に、横顔に、宿っている。

「わたしは殿下と一緒に歳を重ねられることが嬉しいです」

 降り積もる月日の中を共に歩めるのならば、これほど嬉しいことはない。

「そうだな。俺もそう思う」

 ヴィルヘルムがこつんと、額を合わせてきた。触れ合ったところから通じる体温が、彼が何を望んでいるかを伝えてくる。

「アン」
 彼だけが呼ぶ、特別な名前。けれど、この場でこれはどうだろう。

「皆が、見ています」
「前もしたじゃないか」

「あれは」

 あれは、事前にヴィルヘルムと対策を考えた。あれが一番効果的な手だと思ったから受け入れただけで、本来アンジェリカは人前で夫と睦み合う趣味はない。

 けれど、ヴィルヘルムはそうは思わないようで。

「ふむ」

 ヴィルヘルムは右の手を強く握った。すると、それに呼応するように逆巻く風が強くなる。アンジェリカとヴィルヘルムの姿を覆い隠すように、花が強く舞う。

「これなら、構わないだろう。誰にも見えはしない」

 頬に熱い手が当てられる。ここまでされてしまっては、アンジェリカはもう何もできなかった。

「俺達二人だけの、秘密だ」

 この目に映るのは、愛したこの男だけ。

 アンジェリカの愛した二人の男――十六歳の彼と二十八歳の彼は、一つになって今二十九歳のヴィルヘルムとなっている。そして、これからもずっと、この日々は続くのだ。

「愛している」

 返事をしようと思った言葉ごと唇を塞がれる。代わりにヴィルヘルムの首に腕を回した。

 わたしもずっと、あなたを愛しています。

 花の香に包まれながら、アンジェリカは目を閉じる。そのまま、幸せな口づけの余韻に酔いしれた。
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