「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 急に力が湧いてきた気がして、もう一度椅子に座りなおす。ぱちん、と両手で頬を叩いて、幼稚な文が書かれたところだけを破り捨てる。

 半分に千切られた便せんと向き合った。

 考えろ、考えるんだ。

 これはヴィルヘルムだけが果たすことのできる責任だ。二十八歳のヴィルヘルムが本当に今の自分の延長線上にいるとするならば、何を言われれば最も嫌なのか。

 自分のことは自分が、一番分かっているはずだ。

 考えて、考えて、やっと納得できるものが仕上がった。

『悔しかったらオレに勝ってみろ』

 間違いない。これだ。紙に残っていた涙で文字が滲んだのはご愛敬ということで。

「見るからに腹立つもんな、うん」

 記憶が残らないのなら、彼はこれの意味するところを推察するしかない。大人の自分は必死に想像するだろう。いやでも、してしまう。

 自分はどんな風に己の妻と話したのか、触れたのか。
 そして、妻はそれをどこまで受け入れ、許したのか。

 そうして実感すればいいのだ。大人の自分がどれほど恵まれているのか。
 どれほど大切なものを手にしているのか。

 それはそのまま、今のヴィルヘルムが抱いている嫉妬と同じだ。鏡に映った自分自身。同じものに苛まれればいい。
 オレが得られなかった全てを、そうやって思い知ればいいのだ。

 けれど、自分が残すのはこのちっぽけな後悔も未練でもない。
 まぎれもない、この恋心ひとつだ。

 ああ、神様。
 いやこの際、悪魔でも、それとも呪いをかけた意地悪な魔女でも、なんでもいい。

 どうか、ひとつだけ。
 この想いだけを、この体に残してください。

 それさえかなうのなら、今のオレはいなくなって、構わないから。

 そうやって、未来の自分に賭けるしかない。

 どうか幸せでいて。
 どうか笑顔でいて。
 そして、時々。本当に時々でいいから、オレのことを思い出して。

 書けなかった手紙の内容を呟いて、ヴィルヘルムは静かに笑みをこぼす。もう一度こぼれそうになった涙を一つ息を吐いて留めた。

 これから先、アンジェリカが思い出す己の姿は最高に格好よくあって欲しかった。二十八歳の自分に負けないくらいに。

 どうせ虚像なのだ。めいっぱい虚勢を張って何が悪い。

「待っててね、アン」

 今からヴィルヘルムは成長して、ちゃんとアンジェリカを愛するのだ。消えてしまうものなど、恐れることなど何もない。

 自分はただ大人になって(・・・)、存分に妻を愛する。ただそれだけなのだから。


 オレちゃんと、あんたに会いに行くから。
 言えなかったこと全部言うからさ。
 それまでもう少しだけ、オレのことを待っていて。
< 94 / 94 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:11

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

表紙を見る 表紙を閉じる
落ちこぼれ魔女のクリスタは、 迫る成人の儀を前に、 相手が見つからない焦燥感に駆られていた。 そんな中、想いを寄せる憧れの騎士――アルフレッドが、 別の女性と結婚するとの噂を耳にしてしまう。 傷心のクリスタは一世一代の覚悟で惚れ薬を調合し、 アルフレッドに盛ってしまうが、 思いもよらぬ事態が待っていて……。
表紙を見る 表紙を閉じる
三百年の長きを生きている魔女テレーズは、 ある朝目が覚めると「黒猫」になっていた。 困惑する彼女を抱き上げたのは、愛弟子のジャック。 今や立派な青年となった弟子に抱えられ、 猫のまま彼の生活を覗き見ることに。 ジャックの腕の中で眠り、彼の優しさに触れるうち、 テレーズは思いのほか心地よさを感じていく。 けれど、このままでは人の姿に戻れなくなると分かり……。
表紙を見る 表紙を閉じる
 その花に魅入られたわけではない。  その棘をこそ、愛したのだ。 ※第6回ベリーズカフェファンタジー小説大賞 「1話だけ部門」エントリー作品です。 イラスト:はろ様

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop