シンデレラ・スキャンダル


 離陸の時間になり、飛行機が動き出した。何度経験しても慣れることのない圧と、機体が少し高度を下げた瞬間にくる内臓が浮く感覚。

 絶叫系が好きという人がいるなんて、本当に信じられない。それ系が大好きな栞ちゃんと一緒に遊園地に行った時は、本当に悲惨な目にあった。こんなものの、なにが面白いのだろうか。

「うう……」

 目を閉じて、両脇の肘掛けを必死に掴み、小さく(うめ)きながら恐怖に耐える。

 しばらくすると、シートベルト着用のサインがカチリという小さな音を立てて消え、わたしは強張っていた肩の力を抜き、小さく息を吐いた。長時間のフライトに備えて、シートにもたれた時——

「松嶋様、本日はご利用いただき、誠にありがとうございます」

 突然、わたしの名前を呼ばれたことに驚いて顔を上げる。声のした方を見ると、一人のキャビンアテンダントの女性が、まるで絵画のように完璧な、それでいて親しみを感じさせる微笑みを浮かべ、優雅な所作でわたしの座席の横に膝をついていた。

 その整った顔立ちには、プロフェッショナルな美意識を感じさせる控えめながらも洗練されたメイクが施されている。

「こ、こんにちは……」

 急なことで、わたしは気の利いた言葉も出てこず、ただ挨拶を返すので精一杯。わたしと同じように、隣の席に座る彼もまた、丁寧に「長谷川様」と名前を呼ばれ、サービスの提供を受けている。

 すぐに、グラスに注がれた黄金色のシャンパンが運ばれてきた。細長いフルートグラスを手に取り、そっと口に含むと、冷たい炭酸が舌の上で心地良く、繊細に弾ける。

 ふと隣の様子が気になり、視線を送る。彼はすでに、パーソナルスペースの中で落ち着いていた。彼の方を直接見ないように、しかし意識を集中させると、彼の手元だけがわずかに視界の隅に捉えられた。その大きなての中には、イヤホンと本。

 どうやら、彼は本を読み始めるつもりらしい。

 それに倣うように、わたしもイヤホンを耳に装着してお気に入りの洋楽を流すと、傍らにあった本を開く。活字の羅列を追ううちに、すぐにその物語の世界へと深く入り込んでいった。

 その主人公は、夢に向かってひたむきに進み続ける。挫折、そして仲間との出会いと別れ。何度も襲ってくる苦難に、仲間と共に立ち向かう。傷ついた心を抱えながら、悲しみも不安も乗り越えて、彼は一つずつ夢を叶え、輝きを増し、その世界で最も光り輝く唯一無二の星となっていく。

 そして、人々の羨望を集め、眩いほどの光を放ち続ける彼が、あるとき、その光とは無縁の、ごく普通の生活を送る異世界の女性と運命的に出会った。お互いの生きる世界が、交わることのない場所にあることを知らずに出会い、瞬く間に強く惹かれ合う二人。彼らに許された時間は、流れ星のように刹那に(またた)く。

 その輝きは切なくて(まばゆ)い。

 これを運命だというのなら、神様はどうしてこの二人を選んだのだろう。悪戯に何度も二人を巡り会わせるその先には、何があるのだろう。生きる世界が違うからこそ、手を伸ばして良いものか、戸惑い、苦しみ、そしてまた求め合う。

 それを知っているのは、ページを繰るわたしだけ。彼も彼女も知らない真実がここにある。だから、願わずにはいられない。どうか、この恋が叶いますように。どうか、二人の想いが通じ合いますように、と。

「……ふぅ」

 小さく息を吐き出すと、しおりを挟んでから本をゆっくりと閉じる。
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