シンデレラ・スキャンダル
2章 夕陽に満たされて
5話 懐かしい食卓
◇
買い物を終えて、龍介さんの宿泊先に向かうと、そこにはわたしが泊まるところより更に大きな一軒家があった。リビングには大きな窓。デッキチェアやテーブルセットが置かれたテラスと緑が美しい庭、そしてその先には真っ青な海。
買ってきた食材やお酒をキッチンのカウンターに並べながら、目の前の窓に視線を向ければ、海がすぐそこにあって、その距離の近さは、波の音を自然に耳に届けてくれる。
「海、本当に近いですね」
「目の前なんだよね。俺、ここからの景色が一番好きかも。料理作りながら海が見える」
「綺麗ですね……」
「綾乃ちゃんは料理する人?」
「少しだけ。和食がほとんどですけど。龍介さんはお料理されますか?」
「するよ。一人暮らしが長いからね。男料理だけど」
「すごいですね。うちの男性陣はしないからなぁ」
「そうなんだ。兄弟いるの?」
「……兄が、一人います」
「うちと一緒だ。兄と妹。さすがに歳は違うかな。いくつ離れてる?」
「一回りです」
龍介さんは「結構離れてるね」と言って、次に長谷川家の料理について話し始めた。
母親が料理上手だと嬉しそうに話す龍介さんを見つめながら、自分の家族のことを思い出した。母が亡くなってから、毎日のご飯作りはわたしの仕事だった。
学校に行き、部活に出て、アルバイトに行き、真っ暗になった22時半過ぎに誰もいない家に帰る。父と兄が帰るまでの一時間の間に掃除、洗濯、料理の全てを済ませなければならない。
でも休みの日には、父と兄とわたしの三人で全ての家事をする。特に料理はよく一緒にしていて、三人でそんなに広くないキッチンに立った。二人とも料理をするのが好きだったから。
兄と父はあまり話すこともなかったけれど、唯一、二人がコミュニケーションをとるのが料理の時間だったのだ。実験だと言って、父がカレーにキウイフルーツを投入しようとしたとき、兄と必死になって止めて、どうにかリンゴだけにしてもらえるようにお願いした。
父と兄と一緒に過ごした最後の思い出が何でもない日常だったことをふと思い出して、少しだけ胸が締め付けられて熱くなる。
日差しが降り注ぐ明るいキッチン。三人の笑い声と、包丁がまな板を叩くトントントンという規則的な音。あの日々は、確かにそこにあった。あまりにも当たり前で、永遠に続くと思っていた「日常」。それが、最後の家族の記憶。
「——綾乃ちゃん?」
ふと、耳元の音が変わった。息がうまく吸えなくて、顔を上げられなくて、わたしは手に持っていたパプリカを握りしめた。
「……龍介さん、食材もう切っておきます?」
「うん。そうだね」
色とりどりの野菜を龍介さんと一緒に切り始める。カッティングボードと包丁がぶつかる音が心地よく響く。同じキッチンに立ち、一緒に食材を切って料理をするその人は、数時間前まで赤の他人だった人。
窓から降り注ぐハワイの日差しのせいか、彼といるこの空間が微かに光を纏っている気がして、彼の黒目がちな瞳が柔らかく細められる度に全てが脳裏に焼き付く気がして、慌てて視線を下に向けた。
「きょ、今日は何人くらいの方がいらっしゃるんですか?」
無理矢理話し出したわたし。けれど、龍介さんはわたしの不自然さを気に留めることもなく、「んー」と言いながら天井に視線を向けた。
「今日は友達夫婦と、その子供だけだよ。本当に軽い食事会。明後日は仲間十人くらいでバーベキューするから、もう少し賑やかになるよ。あー、いや……もっと来るかなぁ」
「仲間?」
「仕事のね。トレーナーとか……」
トレーナーと知り合う職種は一体なんだろう。アスリートにはどうしても見えない風貌に、自然と首をひねってしまう。金髪、タトゥー、髭にピアス。小麦色、筋肉……日本人のアスリートでこんな出で立ちが許されるスポーツがあっただろうか。
わたしの貧困な想像力では、「海外を拠点にするプロサッカー選手」か「やんちゃな格闘家」くらいしか思いつかない。最近は格好いい選手が多いと聞くこともある。確かに龍介さんみたいな人だったら、人気が出るのもわかる気がする。
買い物を終えて、龍介さんの宿泊先に向かうと、そこにはわたしが泊まるところより更に大きな一軒家があった。リビングには大きな窓。デッキチェアやテーブルセットが置かれたテラスと緑が美しい庭、そしてその先には真っ青な海。
買ってきた食材やお酒をキッチンのカウンターに並べながら、目の前の窓に視線を向ければ、海がすぐそこにあって、その距離の近さは、波の音を自然に耳に届けてくれる。
「海、本当に近いですね」
「目の前なんだよね。俺、ここからの景色が一番好きかも。料理作りながら海が見える」
「綺麗ですね……」
「綾乃ちゃんは料理する人?」
「少しだけ。和食がほとんどですけど。龍介さんはお料理されますか?」
「するよ。一人暮らしが長いからね。男料理だけど」
「すごいですね。うちの男性陣はしないからなぁ」
「そうなんだ。兄弟いるの?」
「……兄が、一人います」
「うちと一緒だ。兄と妹。さすがに歳は違うかな。いくつ離れてる?」
「一回りです」
龍介さんは「結構離れてるね」と言って、次に長谷川家の料理について話し始めた。
母親が料理上手だと嬉しそうに話す龍介さんを見つめながら、自分の家族のことを思い出した。母が亡くなってから、毎日のご飯作りはわたしの仕事だった。
学校に行き、部活に出て、アルバイトに行き、真っ暗になった22時半過ぎに誰もいない家に帰る。父と兄が帰るまでの一時間の間に掃除、洗濯、料理の全てを済ませなければならない。
でも休みの日には、父と兄とわたしの三人で全ての家事をする。特に料理はよく一緒にしていて、三人でそんなに広くないキッチンに立った。二人とも料理をするのが好きだったから。
兄と父はあまり話すこともなかったけれど、唯一、二人がコミュニケーションをとるのが料理の時間だったのだ。実験だと言って、父がカレーにキウイフルーツを投入しようとしたとき、兄と必死になって止めて、どうにかリンゴだけにしてもらえるようにお願いした。
父と兄と一緒に過ごした最後の思い出が何でもない日常だったことをふと思い出して、少しだけ胸が締め付けられて熱くなる。
日差しが降り注ぐ明るいキッチン。三人の笑い声と、包丁がまな板を叩くトントントンという規則的な音。あの日々は、確かにそこにあった。あまりにも当たり前で、永遠に続くと思っていた「日常」。それが、最後の家族の記憶。
「——綾乃ちゃん?」
ふと、耳元の音が変わった。息がうまく吸えなくて、顔を上げられなくて、わたしは手に持っていたパプリカを握りしめた。
「……龍介さん、食材もう切っておきます?」
「うん。そうだね」
色とりどりの野菜を龍介さんと一緒に切り始める。カッティングボードと包丁がぶつかる音が心地よく響く。同じキッチンに立ち、一緒に食材を切って料理をするその人は、数時間前まで赤の他人だった人。
窓から降り注ぐハワイの日差しのせいか、彼といるこの空間が微かに光を纏っている気がして、彼の黒目がちな瞳が柔らかく細められる度に全てが脳裏に焼き付く気がして、慌てて視線を下に向けた。
「きょ、今日は何人くらいの方がいらっしゃるんですか?」
無理矢理話し出したわたし。けれど、龍介さんはわたしの不自然さを気に留めることもなく、「んー」と言いながら天井に視線を向けた。
「今日は友達夫婦と、その子供だけだよ。本当に軽い食事会。明後日は仲間十人くらいでバーベキューするから、もう少し賑やかになるよ。あー、いや……もっと来るかなぁ」
「仲間?」
「仕事のね。トレーナーとか……」
トレーナーと知り合う職種は一体なんだろう。アスリートにはどうしても見えない風貌に、自然と首をひねってしまう。金髪、タトゥー、髭にピアス。小麦色、筋肉……日本人のアスリートでこんな出で立ちが許されるスポーツがあっただろうか。
わたしの貧困な想像力では、「海外を拠点にするプロサッカー選手」か「やんちゃな格闘家」くらいしか思いつかない。最近は格好いい選手が多いと聞くこともある。確かに龍介さんみたいな人だったら、人気が出るのもわかる気がする。