真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る
「確かドイツの舞踏会で桐生さんとワルツを踊って…それがお仕事の成否に関わってるんだったわね。あの綺麗なブルーの石が手に入るんでしょう」
「アウイナイトですね。そうです」
私が頷くと先生はバーの向こうにあるガラス窓の外を眺めた。もう夜なので向かいのビルの灯などが見える。
「文香さん、私、あなたの踊りだとそのお仕事の役に立てないと思うわ」
「えっ」
私は目を見開くしかなかった。出発前にこんな大きなダメ出しが来るなんて。私は動揺して言葉を返せなかった。
「桐生さんの前では言い出しにくかったの。でも、舞踏会でワルツを見せたいお相手は舞踏会の常連者なんでしょう。その人の眼鏡にかなうか……はっきり言って無理だと思うわ」
そんな……。
私の自主練も男性の生徒さんからの誉め言葉も何もかも無に等しいということだろうか。
私は甘く考えていた?いや、でもワルツは。桐生さんと踊るワルツは決して悪くなかったはず。それは深町先生からの評価がなくてもわかった。私と桐生さんは誰が見ても賞賛するようなワルツを目指し、お互いの呼吸を合わせていた。
二人が溶けあうような、あんなひと時があっても、それは鑑賞に値しないのか。
「はっきり言います。私なら、あなたよりも上手く桐生さんとワルツを踊れるでしょうね」
深町先生はそう言ってわずかに口元に笑みを浮かべた。
「文香さん。あなたからワルツの相手を辞退しなさい。代わりに私が桐生さんと踊ります。見事にあのブルーの宝石を手に入れてよ」
ダンスのコンテスト常時入賞者である深町先生が私よりも踊れるのは明らかだろう。それはわかっている。では何故こんなタイミングでそんな事を言い出したのか。
もっと早い段階で社長を交えた話し合いだってできたはずだ。
何かがおかしい。
深町先生の思惑は、先生の言葉通りじゃない。
ダンスが上手いとかそういう問題ではなく......もっと違うところから発しているような。
私は深町先生を見据えた。
ほんの一瞬だが子供が悪戯をする時のようないびつな感情の色が先生の目に浮かんでいるように見えた。
多分、私の考えが正しければ。この人は社長と私がドイツでワルツを踊るのが面白くないだけ。おもちゃをとりあげられた子供のようにいざとなって惜しくなった、それだけだ。
私は深呼吸をして深町先生の前に立った。
「申し訳ありません。先生、それには賛同できません。主人は妻である私が彼とワルツを踊ってこそ意味があると言っていました。ワルツを上手に踊れるアスリートと踊ってアウイナイトを手に入れられるのなら、主人はすでにそうしていたと思います」
深町先生は、聞こえるように舌打ちをした。
いつも上品な先生のそんなところを私は見たくなかった。でも仕方ない。そして先生の社長への恋心もはっきりした。高瀬さんたちが「先生と桐生さんお似合いですね」と言うのを甘い果実を食べるように味わっていたのだろう。高瀬さん達が私を村八分にしているのを知っていてもとりなそうとしなかった。そして私へのきついダメ出しの連続。
全てが嫉妬からくる嫌がらせだ。きっと先生は私が音を上げると読んでいた。
でもそうはならなかった。
「レッスン、これまでありがとうございました。先生のお陰で少しは上達できたと思います。感謝しています。今日はこれで失礼します」
ダンススタジオは明日から年始の四日まで冬休みだと聞いている。本当に最後のレッスンだったのだ。
もうここには来ることもないだろう、と私はスタジオを後にした。
ドイツ行きの飛行機の中で、社長はすっかり寛いで眠っていた。フランクフルト空港への直行便で約14時間ほど。ドイツに二泊することになっていて、二日目の晩に目標の舞踏会がある。
私と社長が踊るのはレトロなダンスホールだ。大きな舞踏会会場だと人数が多すぎてとても踊りの判別などつかない。それを見越しての選択だった。もちろんそのホールにはアウイナイトを所有するR社の経営者ノア・シュミット氏が必ず来るという情報も得ている。シュミット氏の目の前でワルツを踊り賞賛を得てアウイナイトの仕入れを許可してもらう。
それが今回のドイツ行きの目的だ。
「まさかこんなに熟睡するとは思っていなかったな」
フランクフルト空港に降り立ち、のびをしながら社長は言った。さすがに十四時間寝っぱなしではなく、途中で起きたそうなのだが、その時は私の方が眠っていたという。
私は社長ほどは眠れなかったので本を読んだり映画を観たりして時間をつぶした。
「ずっとお忙しかったから。少しでも疲れがとれたならよかったです」
「うん。...仕事とは言え、文香と旅行できる事もめったにないしな。楽しもう」
はい、と頷く。とはいえさすがに仕事メインでやって来ているので観光はスケジュールに入れていなかった。社長はノア・シュミット氏と交渉するのは今回が三度目で、ドイツに来るのも慣れている。明日の夜が本番の舞踏会だ。少しでも体を慣らしておこうと明日の午前中はダンススタジオの予約を取ってくれていた。
今日はホテルでのんびりしよう、という流れになっている。
タクシーで予約していたホテルに到着する。特に問題なく空港からたどり着けたのだが、実は問題はここからだ。
ポーターに案内された部屋は広々としていて居心地がよさそうだ。目にやさしいミントグリーンの壁紙。同系色のベッドカバーや椅子。花瓶には白いバラが活けられていて、美しさにうっとりする。
そう、何も申し分ないホテルの一室なのだけど...。
「ベッドを見るとまた眠気を誘われるな」
そう言って社長は上着を脱ぐとごろんとベッドに横たわった。行儀がわるいとかそういうことじゃなくて、えーと...。
「ああ。俺、ソファで寝ようか?」
ぎこちなくなっている私の前で半身を起こして社長が言った。
「い、いえっ、大事な舞踏会前なんですからっ、ベッドで寝ましょうっ」
言っていてバカみたいに声に力が入ってしまった。
そうなのだ。なんとこの部屋はダブルベッド......ダンススタジオに近いホテルにしたらここしか空いていなかったという......。
恋愛経験のない私にはとってもハードルが高い。でも社長にも心地よく休んでほしいから......ベッドの端と端で眠れば大丈夫!
「あ、俺寝ぼけて文香を襲ったらごめん」
へぅわ!
がちーん、と身体が固まってしまった。
それを見て社長がくすくす笑う。笑うところですかっ。
「大丈夫。そんなに簡単に襲ったりしないから。考えてもみろ。そんな奴だったらマンションで手を出してるよ」
ちょっとだけ思考回路がまともになった。
「そ、そうですよね」
ばくばくいっていた心臓も少し落ち着きを取り戻す。
「機内食も食べたけど腹が減ったな。ドイツビールとソーセージの店に行こうか」
あ、と嬉しくなった。ドイツに行ったら何が食べたい?と事前にきかれていて、ベタですけど、やっぱりソーセージは押さえたいです、と答えたのだ。ちゃんと覚えていてくれたんだ。
ドイツには慣れている社長の案内で老舗のビアホールに行く。地元の人らしい金髪の方が数人ビールを飲んでいた。改めてドイツまで来たんだ、という気持ちがわいてくる。出てきたソーセージは本当に美味しくて嬉しい驚きだった。特に好きだったのはハーブ入りのソーセージ。「日本でも食べられたらいいのに」と私が言うと社長も「だよな」と頷いた。
海外にいるせいか旅に浮かれているのか、私と社長はそのビアホールで他愛ない話をして結構な時間を過ごした。犬派猫派、好きな本や映画、気になっているサッカー選手、時間があったらしたいこと......などなど話すテーマはいくつもあって尽きない。
いつも細切れの時間しか過ごしていなかったし、ダンスレッスンが始まってからはちょっとした緊張感があってダンス中心の話題が多かった。
改めて社長と一緒にゆっくりできて嬉しい...その夜はダブルベッドで意識しすぎて眠れないんじゃ、と思っていたが少しだけ飲んだドイツビールのせいで、ベッドに横たわったらすとんと眠ってしまった。
眠りに落ちる寸前に大好きな社長と楽しく過ごせてよかった......と思った。
翌日、ホテルのルームサービスで朝食を取ってから、近くのダンススタジオに行った。
二人とも時差ボケの影響もなく、いつもの感じで踊れた。あまり根を詰めると夜の本番に差し障るので少しゆっくり目に時間を使った。
夕方になり私はいつもより濃い目にメイクしてラベンダー色のロングドレスを着た。今夜のダンスホールのドレスコードは女性はくるぶし丈のロングドレスという指定で色指定はなかったのだ。
髪の毛も丁寧にブローしてある。
先に身支度を整えていた社長は、黒の燕尾服できりりとしていた。椅子に腰かけている。私がドレスアップした姿をおそるおそる見せると、じっと見つめられた。
「うん......とても綺麗だ」
まっすぐ褒められて頬が紅潮する。かすれた声でありがとうございます、と返事をした。
「文香、こっちへ来て」
近づくと社長が椅子から立ち上がった。手に小さな紺色の箱を持っている。
「君にこれを。クリスマスプレゼントも渡せず悪かった。今日までよく頑張ったな。これはご褒美と思ってくれたらいい」
紺色の箱には黄色のリボンがかかっていて、社長はそれを外して箱を開けた。
中にダイヤのネックレスが入っていた。
私は息をのんだ。
「こんな高価なもの、いけません。私は社長の妻としてすべきことをしただけです」
社長は大きく首を振った。
「アウイナイトですね。そうです」
私が頷くと先生はバーの向こうにあるガラス窓の外を眺めた。もう夜なので向かいのビルの灯などが見える。
「文香さん、私、あなたの踊りだとそのお仕事の役に立てないと思うわ」
「えっ」
私は目を見開くしかなかった。出発前にこんな大きなダメ出しが来るなんて。私は動揺して言葉を返せなかった。
「桐生さんの前では言い出しにくかったの。でも、舞踏会でワルツを見せたいお相手は舞踏会の常連者なんでしょう。その人の眼鏡にかなうか……はっきり言って無理だと思うわ」
そんな……。
私の自主練も男性の生徒さんからの誉め言葉も何もかも無に等しいということだろうか。
私は甘く考えていた?いや、でもワルツは。桐生さんと踊るワルツは決して悪くなかったはず。それは深町先生からの評価がなくてもわかった。私と桐生さんは誰が見ても賞賛するようなワルツを目指し、お互いの呼吸を合わせていた。
二人が溶けあうような、あんなひと時があっても、それは鑑賞に値しないのか。
「はっきり言います。私なら、あなたよりも上手く桐生さんとワルツを踊れるでしょうね」
深町先生はそう言ってわずかに口元に笑みを浮かべた。
「文香さん。あなたからワルツの相手を辞退しなさい。代わりに私が桐生さんと踊ります。見事にあのブルーの宝石を手に入れてよ」
ダンスのコンテスト常時入賞者である深町先生が私よりも踊れるのは明らかだろう。それはわかっている。では何故こんなタイミングでそんな事を言い出したのか。
もっと早い段階で社長を交えた話し合いだってできたはずだ。
何かがおかしい。
深町先生の思惑は、先生の言葉通りじゃない。
ダンスが上手いとかそういう問題ではなく......もっと違うところから発しているような。
私は深町先生を見据えた。
ほんの一瞬だが子供が悪戯をする時のようないびつな感情の色が先生の目に浮かんでいるように見えた。
多分、私の考えが正しければ。この人は社長と私がドイツでワルツを踊るのが面白くないだけ。おもちゃをとりあげられた子供のようにいざとなって惜しくなった、それだけだ。
私は深呼吸をして深町先生の前に立った。
「申し訳ありません。先生、それには賛同できません。主人は妻である私が彼とワルツを踊ってこそ意味があると言っていました。ワルツを上手に踊れるアスリートと踊ってアウイナイトを手に入れられるのなら、主人はすでにそうしていたと思います」
深町先生は、聞こえるように舌打ちをした。
いつも上品な先生のそんなところを私は見たくなかった。でも仕方ない。そして先生の社長への恋心もはっきりした。高瀬さんたちが「先生と桐生さんお似合いですね」と言うのを甘い果実を食べるように味わっていたのだろう。高瀬さん達が私を村八分にしているのを知っていてもとりなそうとしなかった。そして私へのきついダメ出しの連続。
全てが嫉妬からくる嫌がらせだ。きっと先生は私が音を上げると読んでいた。
でもそうはならなかった。
「レッスン、これまでありがとうございました。先生のお陰で少しは上達できたと思います。感謝しています。今日はこれで失礼します」
ダンススタジオは明日から年始の四日まで冬休みだと聞いている。本当に最後のレッスンだったのだ。
もうここには来ることもないだろう、と私はスタジオを後にした。
ドイツ行きの飛行機の中で、社長はすっかり寛いで眠っていた。フランクフルト空港への直行便で約14時間ほど。ドイツに二泊することになっていて、二日目の晩に目標の舞踏会がある。
私と社長が踊るのはレトロなダンスホールだ。大きな舞踏会会場だと人数が多すぎてとても踊りの判別などつかない。それを見越しての選択だった。もちろんそのホールにはアウイナイトを所有するR社の経営者ノア・シュミット氏が必ず来るという情報も得ている。シュミット氏の目の前でワルツを踊り賞賛を得てアウイナイトの仕入れを許可してもらう。
それが今回のドイツ行きの目的だ。
「まさかこんなに熟睡するとは思っていなかったな」
フランクフルト空港に降り立ち、のびをしながら社長は言った。さすがに十四時間寝っぱなしではなく、途中で起きたそうなのだが、その時は私の方が眠っていたという。
私は社長ほどは眠れなかったので本を読んだり映画を観たりして時間をつぶした。
「ずっとお忙しかったから。少しでも疲れがとれたならよかったです」
「うん。...仕事とは言え、文香と旅行できる事もめったにないしな。楽しもう」
はい、と頷く。とはいえさすがに仕事メインでやって来ているので観光はスケジュールに入れていなかった。社長はノア・シュミット氏と交渉するのは今回が三度目で、ドイツに来るのも慣れている。明日の夜が本番の舞踏会だ。少しでも体を慣らしておこうと明日の午前中はダンススタジオの予約を取ってくれていた。
今日はホテルでのんびりしよう、という流れになっている。
タクシーで予約していたホテルに到着する。特に問題なく空港からたどり着けたのだが、実は問題はここからだ。
ポーターに案内された部屋は広々としていて居心地がよさそうだ。目にやさしいミントグリーンの壁紙。同系色のベッドカバーや椅子。花瓶には白いバラが活けられていて、美しさにうっとりする。
そう、何も申し分ないホテルの一室なのだけど...。
「ベッドを見るとまた眠気を誘われるな」
そう言って社長は上着を脱ぐとごろんとベッドに横たわった。行儀がわるいとかそういうことじゃなくて、えーと...。
「ああ。俺、ソファで寝ようか?」
ぎこちなくなっている私の前で半身を起こして社長が言った。
「い、いえっ、大事な舞踏会前なんですからっ、ベッドで寝ましょうっ」
言っていてバカみたいに声に力が入ってしまった。
そうなのだ。なんとこの部屋はダブルベッド......ダンススタジオに近いホテルにしたらここしか空いていなかったという......。
恋愛経験のない私にはとってもハードルが高い。でも社長にも心地よく休んでほしいから......ベッドの端と端で眠れば大丈夫!
「あ、俺寝ぼけて文香を襲ったらごめん」
へぅわ!
がちーん、と身体が固まってしまった。
それを見て社長がくすくす笑う。笑うところですかっ。
「大丈夫。そんなに簡単に襲ったりしないから。考えてもみろ。そんな奴だったらマンションで手を出してるよ」
ちょっとだけ思考回路がまともになった。
「そ、そうですよね」
ばくばくいっていた心臓も少し落ち着きを取り戻す。
「機内食も食べたけど腹が減ったな。ドイツビールとソーセージの店に行こうか」
あ、と嬉しくなった。ドイツに行ったら何が食べたい?と事前にきかれていて、ベタですけど、やっぱりソーセージは押さえたいです、と答えたのだ。ちゃんと覚えていてくれたんだ。
ドイツには慣れている社長の案内で老舗のビアホールに行く。地元の人らしい金髪の方が数人ビールを飲んでいた。改めてドイツまで来たんだ、という気持ちがわいてくる。出てきたソーセージは本当に美味しくて嬉しい驚きだった。特に好きだったのはハーブ入りのソーセージ。「日本でも食べられたらいいのに」と私が言うと社長も「だよな」と頷いた。
海外にいるせいか旅に浮かれているのか、私と社長はそのビアホールで他愛ない話をして結構な時間を過ごした。犬派猫派、好きな本や映画、気になっているサッカー選手、時間があったらしたいこと......などなど話すテーマはいくつもあって尽きない。
いつも細切れの時間しか過ごしていなかったし、ダンスレッスンが始まってからはちょっとした緊張感があってダンス中心の話題が多かった。
改めて社長と一緒にゆっくりできて嬉しい...その夜はダブルベッドで意識しすぎて眠れないんじゃ、と思っていたが少しだけ飲んだドイツビールのせいで、ベッドに横たわったらすとんと眠ってしまった。
眠りに落ちる寸前に大好きな社長と楽しく過ごせてよかった......と思った。
翌日、ホテルのルームサービスで朝食を取ってから、近くのダンススタジオに行った。
二人とも時差ボケの影響もなく、いつもの感じで踊れた。あまり根を詰めると夜の本番に差し障るので少しゆっくり目に時間を使った。
夕方になり私はいつもより濃い目にメイクしてラベンダー色のロングドレスを着た。今夜のダンスホールのドレスコードは女性はくるぶし丈のロングドレスという指定で色指定はなかったのだ。
髪の毛も丁寧にブローしてある。
先に身支度を整えていた社長は、黒の燕尾服できりりとしていた。椅子に腰かけている。私がドレスアップした姿をおそるおそる見せると、じっと見つめられた。
「うん......とても綺麗だ」
まっすぐ褒められて頬が紅潮する。かすれた声でありがとうございます、と返事をした。
「文香、こっちへ来て」
近づくと社長が椅子から立ち上がった。手に小さな紺色の箱を持っている。
「君にこれを。クリスマスプレゼントも渡せず悪かった。今日までよく頑張ったな。これはご褒美と思ってくれたらいい」
紺色の箱には黄色のリボンがかかっていて、社長はそれを外して箱を開けた。
中にダイヤのネックレスが入っていた。
私は息をのんだ。
「こんな高価なもの、いけません。私は社長の妻としてすべきことをしただけです」
社長は大きく首を振った。