仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

Scene5 演じる彼と見抜く瞳

 スタジオの照明が一斉に灯り、熱を帯びた空気がじわりと立ちのぼった。
 ケーブルを巻くスタッフの足音、カメラ台車の軋む音、控え室へと走る靴音。混じり合う音が、現場の緊張を際立たせている。

 優香は機材の確認を終え、そっとモニターの前に立った。
 視線の先――セット中央に立つのは、あの穏やかな笑顔の大地。優しく柔らかな声で、相手役とアイコンタクトを交わしながらセリフを紡いでいる。

「はい、本番!」

 スタッフの掛け声と同時に、彼はまるで空気ごと変えてしまうように“完璧な大地”になった。
 セリフは感情を込めて自然で、カメラ目線も計算され尽くしている。モニター越しに見ても、引き込まれるほどの完成度だった。

 監督の隣で誰かが「やっぱりすごいな」とつぶやく。現場の空気がさらに引き締まる。

 ――それなのに。

(……なんでだろう)

 昨日、泣きじゃくるような素顔を見せた彼は――今、どこにいるんだろう。
 完璧なセリフ、柔らかな笑顔、整った立ち振る舞い。
 すべて非の打ちどころがないはずなのに、なぜか冷たい“型”をなぞっているように見える。

「……カット!」

 監督の声が響き、スタジオの緊張がほどけた。
 蓮――いや、大地は静かに一礼し、にこやかにスタッフへ頭を下げる。
 その一瞬、彼の瞳が優香と交わった……気がした。けれど、すぐに逸らされる。

(……やっぱり、大地くんじゃない)

 優香は胸の奥で、またひとつ確信を深めていた。

 ***

 収録後の控室。照明が落とされ、薄暗い空間に布と汗の匂いがかすかに残っていた。

 蓮は無言のまま衣装のジャケットを脱ぎ、鏡の前に座る。
 ふっと吐き出されたため息が、室内に淡く広がった。

 優香はそっと近づき、タオルと水を手渡した。

「お疲れさまです。……すごくよかったですよ」

「……ふうん」

 ぶっきらぼうな返事。それでも、水はきちんと受け取ってくれる。
 その手つきに、昨日見た“壊れそうな彼”の影がかすかに残っているように感じた。

 ――勇気を出すなら、今しかない。
 優香は胸の奥の動悸をひとつ飲み込んだ。

「……大地くんって、誰かに似てるって言われたこと、ないですか?」

 蓮の手がピタリと止まった。

「……は?」

 その一言で、空気がぴたりと凍る。

「あ、いえ……なんか、誰かを思い出しそうになるっていうか。変ですよね、私」

 慌てて笑って取り繕おうとする優香に、蓮は無言で水をひと口飲み、そして背を向けたまま言った。

「……言われたくない」

「え……?」

「そういうの、あんまり。気分よくねぇから」

 背中越しに投げられた言葉に、優香はそれ以上何も言えず、ただ静かに立ち尽くすしかなかった。

 ***

 鏡に映る自分の顔を見ながら、蓮はふと眉をひそめた。

(……誰かに似てる? やめろよ)

 喉の奥に小さな苛立ちがこもる。

(そんな目で見るな。あんなふうに、全部わかってますって顔すんなよ)

 優香の声も、まなざしも、まるで何かを見抜こうとしているようで――心の奥がざわつく。

(俺は“宅麻大地”だ。礼儀正しくて、努力家で、笑顔を絶やさない男。
 そう教えられた。そう生きていくしかなかった。
 それが俺の全てだったのに)

 なのに――

(なんで気づくんだよ。
 「寂しそう」なんて、誰にも言われたことないのに。
 そんな言葉、俺の辞書にはなかったのに)

 演じきれると思っていた。誰にも本当の自分なんか興味ないと、ずっと思っていた。
 でも――この人は違う。

(気づかれるのが、怖ぇよ)

 けれど、同時に。

(……ちょっとだけ……嬉しかった)

 それが余計に、苦しかった。


 
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