仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

Scene15 すがる夜

優香の部屋。
間接照明の淡いオレンジが、静かな部屋に柔らかい影を落としていた。
テーブルの上のカップは、湯気をほとんど失っている。

ふたりは向かい合っていた。
蓮は指を強く組んだまま、視線をテーブルに落として動かない。
その指先は、何かに縋らなければ壊れてしまいそうなほど震えていた。

「……蓮くん」

優香の名前の呼びかけは、夜の空気に溶けるように小さかった。
不安と優しさが、同じ色で揺れていた。

「私……蓮くんが何か抱えてるのは、ずっと感じてた。でも――」

言葉が終わる前に、椅子が軋む。
蓮が立ち上がり、優香の肩に触れた。

「……離れないでくれ」

震えた声だった。
そんな声で頼まれたことが、今まで一度もなかった。

「え……?」

戸惑う暇さえなく、蓮は優香を抱き寄せた。
胸元に押し付けられる熱。
優香の心臓が一気に高鳴る。

「俺を……見ててくれ」

声が壊れそうで。
蓮は、泣き出す寸前の子どものようだった。

優香はそっと、抱き返した。
その体温の奥に渦巻く苦しさも孤独も、全部、腕の中に伝わってくる。

「蓮くん……」

その名前を呼んだ瞬間、蓮の腕がさらに強く、優香を抱き締めた。
唇が重なる。
切なく、ひどく求めるように。
互いの呼吸が、喉の奥でかすかに震えた。

この夜だけは、言葉も真実も、すべてが曖昧でいい。
抱き寄せた温もりが、自分を確かにしてくれるなら。

指先が背をなぞり、肌の温度が近づいていく。
ふたりの影は重なりながら、静かに境界線を溶かしていった。


---

◆夜明け前

薄い街の光がカーテン越しに差し込み、シーツに淡いグラデーションを落としていた。
ふたりは寄り添うように横になり、まだ眠らずに呼吸をそろえていた。

蓮は天井を見つめたまま、ほんの少し視線だけを横に送る。

(……また優香を巻き込んだ。わかってる。
 それでも今――この腕の中だけは、手放したくない)

優香は目を閉じたまま、ほんの小さなざわめきを胸に持っていた。

(優しかった。
 でも、あの人の影がまだ残ってる……
 知りたい。でも……今は言わない)

ただ静かに、互いの体温だけを確かめるように寄り添う。
夜が終わる気配の中、ふたりは言葉より深く結ばれていた。
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