治療不可能な恋をした
翌日。夕方前の小児科のスタッフルームには、人の気配がほとんどなかった。
窓の外はすっかり日が傾き始めていて、薄い西日がブラインド越しに差し込んでいた。
冷えかけたコーヒーを手に、梨乃は資料をめくるふりをしながら、思考をどこかに飛ばしていた。
理人の言葉の数々が、まだ胸の奥でじん、と残っている。まっすぐだったあの視線が、今も脳裏に焼きついて離れなかった。
「そういえば、仁科先生。今度のTGA(完全大血管転位)の件、心外は誰が主担当なんですか?」
ふいにかけられた声に、梨乃はわずかに肩を揺らした。
「……さあ。ちょっと聞いてないです」
資料に視線を落としたまま答える。その言い方が自分でも思った以上に素っ気なかったと気づきながらも、視線を上げることができなかった。
「というか、どうして私に聞くんですか?」
無意識のうちに、語尾がほんの少しだけ棘を帯びた。
「そりゃあ、今や心外といえば仁科先生だから」
「……はい?」
怪訝そうに目を向けた梨乃に、白石は笑いながら移動式の椅子を隣につけてくる。
「向こうも小児といえば逢坂先生って感じで決まってるみたいですし、持ちつ持たれつってやつですかね」
冗談めかした口調で言いながらも、白石の視線は梨乃の反応を逃さない。梨乃は息を詰め、指先に力が入るのを感じた。