治療不可能な恋をした
. . 𖥧 𖥧 𖧧


それぞれに引き継ぎを終え、病院を出たふたりの影を淡く照らしていた。

電車のホームを横目に、理人の住むマンションへと歩く足取りは、少しだけ早い。

何を話すでもなく、けれど互いの存在を確かめるように肩を並べる。

無言の時間がなぜかとてもやさしくて、梨乃は時折、理人の横顔に視線を送った。

数分後、理人の住むマンションの前に着いた。外観はシンプルで落ち着いた色合いの低層マンション。エントランスには薄い照明がぼんやりと灯り、住人以外の気配はなかった。

オートロックを抜け、エレベーターで数階上がる間、ふたりの間に再び沈黙が落ちた。

部屋の前に着くと理人がドアの鍵を開け、カチリと音がして、扉が開いた。

「……どうぞ」

一歩、足を踏み入れる。梨乃の喉が小さく鳴った。

部屋のドアが閉まる音が響くと、それだけでふたりきりの世界が始まった気がした。

かつて訪れた部屋とは、何もかもが違っていた。

空間には理人の生活の匂いがあり、ひとつひとつの家具や照明が、今の彼の時間を刻んでいる。

どこに視線を置けばいいのか分からず、かといって見回すこともできず、梨乃はただ、静かに立ち尽くした。

心臓の音がやけに大きく聞こえる。胸の奥で、ドクドクと脈打つ鼓動が止まらない。

(……前は、こんなに緊張しなかったのに)

理人の後ろ姿を目で追いながら、梨乃はそっと息を整えようとした。けれど、肩の力はなかなか抜けなかった。

< 127 / 306 >

この作品をシェア

pagetop