治療不可能な恋をした
その瞬間、理人が廊下を駆けて現れた。
「梨乃!」
叫ぶ声に、梨乃は思わず小さく震えながら顔を上げる。理人に迷わず抱きしめられ、冷たく硬直していた体が安堵でゆるむ。
「で、でんわ……電話が……」
震える声が何度も漏れる。理人は梨乃を抱きしめたまま、床に落ちているスマートフォンに目をやった。
しゃがみ込んで端末を拾い上げ、耳にあてる。まだ通話が繋がったままらしく、理人の眉間が深く寄る。すぐに通話を切り、強い眼差しで端末をポケットに収めた。
「……大丈夫だ、梨乃。俺がいる」
耳元で低く囁かれる声と、肩を強く抱き締めるぬくもりに、梨乃は少しずつ震えを抑えようとするが、恐怖の余韻はまだ全身に残っている。
「……ここにいても安心できないな」
理人は低くつぶやき、梨乃の手を握りながらゆっくりと立ち上がった。
二人は病院を後にし、外の光を目指して歩き出す。夜風が頬をかすめ、閉塞した廊下の恐怖をほんの少し洗い流してくれる。
理人は梨乃の肩を抱いたまま、迷わずタクシーを拾った。病院から理人の家まではそれほど距離があるわけではないけれど、今の自分の足では到底歩ける気がしなかったので、助かった。
車内では理人の肩に寄りかかりながら、梨乃は目を閉じる。閉じてもなお耳の奥に残る声が、心臓を締めつけるように脈打っていた。
けれどそのたびに、隣に座る理人の手がしっかりと握っていてくれることが、かろうじて現実に引き戻してくれる。
タクシーのライトが夜の街を切り裂き、理人の自宅へと運んでいった。