治療不可能な恋をした
「……この子、仁科が診てた子だよな?」
突然、低い声が耳元に届く。
思わず理人の横顔を盗み見ると、彼は正面を向いたまま、ごく自然な調子で資料に目を走らせていた。
「……はい。術後は経口と経管の併用で対応しています。いまのところ熱発もなく、落ち着いています」
梨乃は、なるべく表情に出さぬよう、声を潜めて答える。
理人は小さく頷いただけで、それ以上の言葉は続けなかった。けれど──確かに、彼の関心は自分に向けられていた。
会議室のざわめきの中で、それはとても小さなやりとりだった。
他の誰にも気づかれないような、ひとつひとつの距離の詰め方。
そのさりげなさが、余計に梨乃の心を乱した。
理人の横顔を盗み見るふりをして、そっと息をつく。
(……普通に話すなんて、無理に決まってる)
何もなかったことにしようとしたのは、ほかでもない自分だ。
なのにどうして、こんな風に静かに距離を詰めてくるのだろう。
「次の症例、ファロー四徴症の術後経過についてお願いします」
前方の席で座長役の医師が声を上げると、会議室の空気がわずかに引き締まる。
スクリーンには新たな心エコー画像が表示され、スライドに沿って報告が進められていく。外科チームからの説明に続いて、今度は小児科側の管理状況が共有される番だった。