治療不可能な恋をした
梨乃もまた術後管理に関わっており、発言を求められる可能性がある。緊張を悟られぬよう、何気なく手元のメモに目を落とす。視線の隅には、変わらず隣に座る理人の横顔。
(集中しないと……)
無意識に意識を隣に向けてしまう自分を責めながら、無言でペンを握りしめた。
資料に目を通す彼はいつも通りの落ち着いた様子で、ときおり小さく頷いたり、発表者に向かって視線を上げたりしている。それが余計に自然で、こちらが勝手に構えているような気さえしてきた。
「仁科先生、こちらの患者の次回の通院予定はいつですか?」
前列の医師に呼ばれ、梨乃は小さく返事をして立ち上がる。
簡潔に、落ち着いた声で予定と自宅での注意点を述べると、軽く頷いた何人かの視線が自分に集まる。その中に、隣にいたはずの理人の視線が含まれている気がして、瞬間、足元がすこしだけぐらつく。
──けれど、視線は向けない。
自分にそう言い聞かせて、もう一度腰を下ろした。
会議は終盤に差し掛かり、予定されていた症例報告がひと通り終わると、座長が「ほかに共有事項があれば」と締めの言葉を促した。
「特になければ、今日はこれで解散します。お疲れ様でした」
その声に続くように「お疲れ様でした」と、各々が資料をまとめ始める。
梨乃と席を立とうとして、隣の理人とわずかにタイミングが重なった。その一瞬、彼がなにか言いかけたのがわかった。口元がわずかに開き、視線がこちらに向けられた。
けれど。
「逢坂先生っ!」
甘く、わずかに弾むような声がかけられた。