治療不可能な恋をした
夜の空気に、彼の低い声がしんと響いた。
低く、感情を抑えたような声だった。
梨乃は思わず顔を上げる。そこにあったのはいつもの軽さも周囲に向けるような笑顔もない、真っ直ぐな理人のまなざしだった。
一瞬、呼吸が止まる。
「……どういう意味?」
絞り出すように問い返した声は、自分でも驚くほど小さくて不安定だった。
でも理人は、何も答えなかった。
目を逸らすわけでもなく、正面から見つめたまま、ただ静かに言った。
「お前が今のままずっと逃げ続けるつもりなら……これ以上言うつもりはない」
淡々とした口調だった。
それなのに、なぜか喉の奥が熱くなる。
──逃げている?私が…?
答えが出せないまま、ふたりの間に沈黙が落ちた。この場所だけはまるで切り取られたように、時間が止まっているかのようだった。
やがて、理人がポケットから無造作にスマホを取り出し、時刻を確認する。
「……駅まで送る。行くぞ」
有無を言わせない声だった。
断ろうとしたけれど、声にはならなかった。立ち止まったままの梨乃に、理人は言葉を重ねることもなくただ歩き出す。
その背中を見つめながら、梨乃は一歩遅れて足を踏み出した。
少しの距離と、埋まらないままの気持ち。
街の明かりが遠ざかっていくなかで、梨乃は視線を落としたまま、夜道を歩いていった。