蒼へ沈む



燈矢さんは、虚空を見つめながら短く息を吐くと、やがて何かを決心したように強い目で私を見つめて切り出した。

「……夏菜ちゃん。連絡先、良かったら教えてよ」

その声のトーンは、さっきまでの『カフェの店主』のものではなく、私がよく知っている18歳の頃の彼のものだった。

スマートフォンの画面越しに、15年という途方もない空白を埋めるように、不器用な動作で連絡先を交換する。

「今度の、日曜は空いてる?」

「……はい」

「俺もその日は店をオフにする予定だったから――夏菜ちゃんさえ良ければ、色々、2人でゆっくり話したい。……10年以上、まともに話してなかっただろう」

少しだけ照れ隠しのように目を逸らしながら誘ってくれる彼の姿に、私の胸の奥がじんわりと温かくなる。
うん、と小さく頷いてスマートフォンを鞄にしまおうとしたとき、不意に彼が、ため息のような柔らかい声をこぼした。

「……にしても。本当に綺麗になったなぁ、夏菜」

名前の呼び捨て。そして、真っ直ぐに向けられた熱のある視線。
突然の不意打ちに、私の心臓がドクンと大きく跳ね、顔に熱が集まっていくのが自分でも分かった。

「――都会の大学に行ったってのは風の噂で聞いてたけど。もしかして、もう結婚してる?」

冗談めかした口調の中に、ほんの僅かな探りを入れるような大人の男の響きが混じる。
私は動揺を隠すように、あえて少しだけ肩をすくめて、ふっと自嘲気味に笑ってみせた。

「してたら、こんな場所戻ってきませんよ」

過疎化が進み、閉鎖的な空気が漂う、この朽ちゆく汐鳴の町。
もし私が都会で誰かと家庭を築き、守るべき場所を持っていたのなら、いくら親の頼みでもこんな檻の中へ一人で戻ってくるはずがない。

私のその少しシニカルな答えに、彼は一瞬だけ目を丸くした後、肩を揺らして吹き出した。

「ははっ。違いない」

彼もまた、この町の重力を誰よりも知っている人間だ。
15年ぶりの再会に張り詰めていた空気が、その共有された諦念と笑い声によって、ようやくふっと解けていく。

「じゃあ、日曜。迎えに行くよ」

カラン、とドアベルを鳴らして外に出た私の背中を、彼の優しくて低い声と、温かい店の灯りがいつまでも包み込んでいた。


< 10 / 57 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop