蒼へ沈む
不意に彼がゆっくりと視線を海から外した時だった。
吹き抜けた強い潮風が彼のシャツの襟元を揺らし、開いた胸元から、日焼けした肌に下がる一本の麻紐のネックレスがふと覗いた。
先端で小さく揺れたのは、象牙色をした鯨の骨のペンダントトップ。
「あ……」
私は息を呑み、手すりを掴んでいた指先にぎゅっと力を込めた。
……見覚えがあった。というより、忘れるはずがなかった。
あれは15年前。私が17歳の時、彼の18歳の誕生日に、少し背伸びをして海辺の雑貨屋で買ってあげたものだ。
汐鳴の町の人々が、よく『航海の安全』への祈りを込めて、漁に出る家族や恋人に贈る海のお守り。
いつか遠いグランブルーの海へ行くという彼の夢が叶うように、そして必ず無事に帰ってくるようにと祈って、私が直接彼の首にかけてあげたものだった。
もう二度と、彼が船に乗ることは出来ないのに。
あんな凄惨な事故で、海に片脚を奪われてしまったのに。
……彼は、これが私からの贈り物だと覚えていて、その上で今も身につけているんだろうか。
それとも、ただの習慣として無意識に着けているだけなのだろうか。
分からない。
でも、理由なんてどちらでもよかった。
あの凄惨な事故を経てもなお、彼が『海のお守り』を捨てずに胸に抱き続けているという事実だけで、十分だった。
この人は、私の記憶の奥底にいる、優しくて、無邪気で、誰よりも真っ直ぐに海を愛していた『18歳の少年』と、根っこの部分では何一つ変わっていないのだ。
冷たい金属の義足を履き、どれだけ大人びた諦めの微笑みを浮かべるようになっても、その奥にある魂の形は、あの頃と同じままなんだ。
そう確信した瞬間、胸の奥底で15年間つかえていた硬い氷が溶け出し、思わず声が漏れ出ていた。
「……また会えて、良かった」
波の音に消え入りそうなほど小さな、けれど、心の底からの本音だった。
不意に紡がれた私のその言葉に、風に吹かれていた彼は、驚いたようにゆっくりとこちらを振り向いて、不器用ながらも微笑んだ。