蒼へ沈む
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「腱鞘炎ですね。佐倉さん、網引くの頑張りすぎなんです。よく効く痛み止めと湿布を出しておきますから、しばらくは大人しく休んでくださいね」
モニターに映るレントゲン画像から視線を外し、目の前の日に焼けた老漁師にそう告げた。
「いやぁ、夏菜ちゃんに診てもらえるなんて長生きはするもんだな。大先生によろしく言っといてくれや」
豪快に笑いながら診察室を出ていく分厚い背中を見送り、わたしは誰にも聞こえないほどの小さなため息をこぼした。
汐鳴の町に帰ってきて、およそ1週間。
わたし――瀬尾夏菜は、医師として実家の小さな診療所を手伝っている。つい先日、内科の専門医を取得したばかりの32歳だ。
汐鳴からは遠く離れた都会の大学を出て、しばらくは医局人事というやつで日本の各地を転々としていた。
だが、専門医を取得したタイミングに折よく、実家の診療所を父とともに支えてくれていた凪村先生が、突然大学へ栄転されることになった。ぽっかりと空いたその穴を直ちに埋めるため、わたしがこの町へ半ば強制的に呼び戻されたというわけだ。
キーボードを叩き、佐倉さんのカルテに所見を打ち込む。
ふと漂ってきた消毒液の匂いの奥に、微かに潮の香りが混ざっているような気がして、手を止めた。
以前まで働いていたそれなりの中堅の総合病院とは違い、町で唯一のこの診療所では、自分の専門外の疾患を診ることも日常茶飯事だ。
さっきのような漁師の腱鞘炎から、釣り針による怪我、お年寄りの膝の痛み、さらには子供の風邪まで。まるで何でも屋のように次から次へと患者がやってくる。
最新の医療機器に囲まれ、自分の専門分野だけを深く追究していればよかった都会での日々とは、あまりにも勝手が違いすぎる。1週間そこらでは未だに慣れないことも多く、白衣の下の身体は鉛のように重かった。