蒼へ沈む
その不器用な声色に逆らうことなどできず、私は逃げるように立ち去りたかったはずの足で、フラフラと『汐灯』の店内へと足を踏み入れてしまった。
カラン、とドアベルが鳴り、温かいコーヒーの香りが私を包み込む。
カウンターの奥に入った燈矢は、いつものように静かな手つきでお湯を沸かし始めると、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「あぁ、そうだ。良かったら、そこの棚、見ていって」
「……棚?」
彼に促されるまま視線を向けると、レジ横の小さなディスプレイスペースに、ハンドメイドのアクセサリーがいくつか並べられていた。
「さっきの――朱海さんが作って、うちの店に置いてるものなんだ。そのシーグラスのペンダントは、今日持ってきたばっかりの新作だって」
……朱海さん。
その名前と目の前のアクセサリーを見て、
あぁ、あの人は少なくともビジネスパートナーで、燈矢の彼女ではないのかもしれない。
そう思うと、自分でも驚くくらいひどく安心した。
「……夏菜に、きっと似合うと思う」
コーヒーの粉をドリッパーにセットしながら、彼がこちらを見ないまま、ぽつりと落としたその一言。
ドクン、と。
今度は先ほどとは全く違う、甘くて、そしてひどく痛い音が胸の奥で鳴った。
『俺はお前とは違う』『良家の娘さんって自覚を持て』と、あんなにも残酷に私を突き放して、境界線を引いたくせに。どうしてそういう時だけ、昔と変わらない温度で、私の心の一番柔らかいところを撫でるようなことを言うのだろう。
私は泣き出しそうになるのを必死に堪えながら、彼が『似合う』と言ってくれたそのペンダントにそっと指先で触れた。
波に揉まれ、削られて丸くなったシーグラス。
それは、彼がかつて憧れ、そして彼からすべてを奪った海の一部。
透明感のあるそのガラスは、ただの水色ではなく、深い、夜明けの海を思わせるような、吸い込まれそうな青色をしていた。
――ずるい。
こんな深い青色を見せられたら、あなたがどれだけ言葉で私を突き放そうと、この海の底から一生抜け出せなくなってしまうじゃないか。
私は、彼の淹れるコーヒーの静かな雫の音を聞きながら、手のひらの上で揺らめく夜明けの青から、どうしても目を逸らすことができなかった。