蒼へ沈む
3.2 toya side.
カラン、と。
ドアベルの澄んだ音が鳴り、彼女の小さな背中が夕暮れの路地へと消えていく。
その姿を最後まで見送った俺は、深く、ひどく重たい溜息を吐いてカウンターに手をついた。
「……っ」
その瞬間。ズボンの下で、左脚が痛んだ。
失われたはずの膝から下が、痺れるような幻肢痛を訴えているのか。それとも、長時間立ちっぱなしだったせいで、ソケットと断端が擦れて悲鳴を上げているのか。
ギリリと奥歯を噛み締めて痛みを堪えようとした、まさにその時だった。
――ちゃりん。
足元で、何か硬いものが木の床に落ちる、小さく乾いた音がした。
ふっと地面に視線を落とす。
そこにあったのは、15年前の夏、俺が海に出るためのお守りとして彼女から貰った、あのペンダントだった。
鯨の骨。
光の届かない深い深淵から、幾つもの海を渡り、波に揉まれ、辿り着いた旅の果てで削り出された白い欠片。
しゃがみ込み、そっと拾い上げる。
汗と潮風を吸い込んで黒ずんでいた麻紐が、首の後ろの結び目のところで、ぷつりと限界を迎えて千切れていた。
「……麻紐が、切れたんだ」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。
むしろ、15年間も毎日肌身離さず着け続けて、一度も切れずによく持った方だと思う。
俺の身体の一部のように張り付いていたそれが、彼女に『あれで良かったんだ』と引導を渡した直後に、まるで役目を終えたように切れて落ちたのだ。
どうして、彼女と別れてからもずっと、俺はこれを手放せなかったのだろうか。
掌の上の白い骨を見つめながら、自問する。自分でもよく分からない。
彼女への未練とか、あの日に戻りたいという後悔とか。そんなありふれた言葉で説明できる気持ちとは、多分少し違う。
強いて言うならこれは、俺がかつて五体満足で、確かに海を愛し、未来を信じていたことの『唯一の証明』だったのかもしれない。
俺は、もう二度と繋ぎ直すことのできない千切れた麻紐と、その鯨の骨を。
祈るように、静かにズボンのポケットの奥深くへとしまい込んだ。