蒼へ沈む
4.1 toya side.
夜明けを待つ海風は、夏だというのに想像以上に冷たかった。
嵐が近づいているせいだろうか。見上げた空は、いつものような燈色混じりの夜明けの青ではなく、どこか血が滲んだような、痛々しい赤みを帯びているように見えた。
あの日――15年前の、すべてを奪われた嵐の夜以来。俺がこうして、自分の足で直接浜辺を歩いたことなど、ただの一度もなかった。
義足で、足場の悪い柔らかい砂浜を歩くのが物理的に難しいことは分かりきっていたし、何より、俺から海を奪ったこの場所に対する、拭い去れない恐怖と絶望があったからだ。
それでも。今日だけは、どうしてもやらなければいけないことがあった。
ズボンの裾が砂に擦れ、義足のソケットに鈍い疲労感が走るのを堪えながら、一歩、また一歩と、波打ち際までどうにか辿り着く。
ぎゅっと握りしめた右手の掌には、あの日、彼女からお守りとしてもらった『鯨の骨のネックレス』があった。
15年間。俺の服の下で、心臓の一番近くで、ずっと俺を生かし、同時に俺を過去に縛り付け続けてきた、白くて滑らかな骨。
もともとは海で産まれて、広くて深い海の一部だったもの。俺が永遠に失ってしまった、あのグラン・ブルーの世界の欠片。
「……ありがとう」
誰にともなく、そっと呟く。
それは、15年間俺の心を支えてくれたこの骨に対してであり。同時に、俺の人生に、身に余るほどの美しくて残酷な夢を見せてくれた、愛するあの不器用な女に対しての、最後の別れの言葉だった。
俺は大きく腕を振りかぶり、その白い欠片を、海に還すように思い切り投げ入れた。
ポチャン、という小さな水音は、広大な海のうねりにあっけなく飲み込まれ、二度と浮かび上がってくることはなかった。
俺が一番欲しかったものは、もうどこにもない。
赤く染まりゆく空の下、後にはただ、寄せては返す無情な波の音だけが響いていた。