蒼へ沈む
目の前に並べられるのは、目にも鮮やかな高級料理ばかりだった。
季節の野菜があしらわれた美しいお造りも、上品な出汁の香りがする椀物も、間違いなく一流の職人が腕を振るった味なのだろう。
でも、どうしてだろう。
あの日、彼が狭いキッチンで揚げてくれた、少し不格好な鯨の竜田揚げのほうが、よっぽど美味しかったような気がする。
思考が、どうしてもあの生姜醤油の香ばしい匂いと、波の音が聞こえる小さな店へと引き戻されてしまう。こんなこと、今ここで考えるべきじゃないのに。
「……夏菜さん? 聞いてますか」
穏やかで、少し不思議そうな声にハッとして顔を上げる。
向かいの席に座る網元の御曹司――臼井さんは、不快に思う様子もなく、余裕のある笑みで私を見つめていた。
「あ……ごめんなさい。……えっと……っ」
私は慌てて取り繕うように、直前まで彼の口から語られていた言葉を頭の中からかき集めた。
「う、臼井さんは立派ですね。これからの水産業における脱炭素の取り組みとか、そういった多様な観点から経営を見ていらして……」
臼井さんは本当に、非の打ち所がない優秀な人だった。旧態依然とした漁業の仕組みを変え、資本のあり方や環境問題まで見据えて網元の会社を引っ張ろうとしている。親が私に勧めるのも頷ける、真っ当で、眩しい世界を生きる大人の男。
私の少し的外れな相槌にも、彼は気を悪くすることなく、ふと私の胸元へと視線を落とした。
「そういえば、そのネックレス。すごく良くお似合いです」
「……あ」
その言葉に、私は弾かれたように自分の胸元へ指先を這わせた。
ヒヤリと冷たい感触。
――これ、は。
指先に触れたのは、夜明けの空を思わせる、淡く澄んだ色のシーグラス。
無意識に、今日のこの大切な席に選んで身につけてきてしまったもの。
「……ありがとうございます」
震える唇でそう返しながら、私の心は、決定的な絶望と、どうしようもない愛おしさに支配されていた。
私は、この立派なお見合い相手によく思われたくて、このネックレスを選んだわけじゃない。
違うのだ。
ただ、燈矢が。
いつか彼が、私を見て「きっと似合う」と言って笑ってくれたから。ただそれだけのために、私は無意識にこの夜明け色の欠片を握りしめ、彼のいないこの完璧な食卓に座っているのだ。
いくら立派な人と向き合っていても、私の魂は、あの日の小さなカフェから一歩も動いていない。
胸元で冷たく光るシーグラスが、「お前はまだ、どうしようもなくあの男を愛している」という残酷な事実を、私自身に突きつけていた。