蒼へ沈む
4.6
やがて訪れた朝には、昨夜の狂ったような嵐はすっかり去っていた。
シーツに包まれたまま、彼の腕の中からそっと窓の外を見やると、澄み切った空気の向こうに、空と海を境界線なく染め上げる綺麗な桃色の朝焼けが見渡せた。
彼が教えてくれた通りだ。すべてを洗い流した後の空は、こんなにも美しく、優しい色をしている。
しばらくの無言の、ただお互いの体温と鼓動だけを確かめ合うような甘い余韻の後。彼がふと、我に返ったようにぽつりと呟いた。
「……よかったのか? 無断外泊」
少しだけ掠れた、大人の男の気怠く甘い声だった。
親に逆らって家を飛び出してきた私を気遣うその言葉に、私は彼の広い胸に顔を埋めたまま、少しだけ悪戯っぽく笑って答えた。
「いいよ。私、もう親の言いなりになるような子供じゃないんだから」
私のその返答に、彼が困ったように、けれどひどく愛おしそうに息を吐く。
「そうかも知れないけど……」
彼がさらに何かを言いかけた、その時だった。
『――……ォォォォ…………』
波の音しかしない静かな朝焼けのなかに。
いや、もっとずっと遠くの、暗い海の底から。
低く、長く尾を引くような、ひどく不思議な音が響いてきた。
「……?」
それは、遠吠えをする狼のようにも聞こえたし、巨大な管楽器が軋むような、どこか途方もなく懐かしくて、寂しい音のようにも聞こえた。
私が不思議に思って顔を上げると、燈矢は窓の向こうの海を真っ直ぐに見つめ、静かに目を細めていた。
「……鯨の鳴き声だよ」
どこか誇らしげな、15年前の少年のままの横顔だった。
「昔、親父の船に乗ってた時、海で聞いたのと同じだ」
私は、息を呑んだ。
仲間を呼んでいるのか、それとも自分の運命を悟って泣いているのか。地上の光が一切届かない暗い海の底で、あんなにも美しく、悲しい声で鳴く生き物がいるのだと。そしてその声は、15年間、暗い絶望の底でたった一人で息を潜めていた彼の孤独そのもののように思えた。
「……これが?」
「多分な」
彼は私の肩をきつく抱き寄せ、その不思議な歌声の余韻に耳を澄ませるように、ぽつりと呟いた。
「……綺麗だな」
その優しい言葉が。
遠くの海で鳴く鯨に向けられたものなのか。
嵐のような夜を越えて、今彼の腕の中にいる私に向けられたものなのか。
私には分からなかったけれど、彼の瞳があまりにも穏やかで、満たされていたから。私はただ小さく頷いて、もう一度、私の世界で一番温かい彼の胸の中へと、深く目を閉じたのだった。