蒼へ沈む
Epilogue
次に目を覚ました時、窓の外には、夏真っ盛りの眩しい日差しに満ちていた。
寝返りを打つと、隣にあったはずの温もりが消えていて、私の心に一瞬だけ冷たい不安がよぎる。
もしかして。
『……やっぱり、昨夜のことはなかったことにしよう』
彼がまたいつものように一人で思い悩み、そんな風に私を突き放す言葉を用意しているのではないかという、臆病な恐怖。
けれど。急いで薄手のシャツを羽織り、リビングへと向かった私の鼻先をかすめたのは、深く焙煎されたコーヒーの、ホッとするような良い香りだった。
「あ、起きたか」
キッチンに立つ彼は、戸惑う私の姿を認めると、これまで見たことがないほど穏やかで、憑き物が落ちたような柔らかい表情で微笑んだ。
不安なんて、完全に私の杞憂だったのだ。
彼の分厚い鎧も、劣等感という呪いも、昨夜の嵐と一緒にすべて綺麗に洗い流されていた。
彼がテーブルに並べてくれたのは、見事なイングリッシュマフィンに乗せられた、彩り豊かなエッグベネディクトだった。
「一応、店やってるからな。……口に合うか分からないけど」
照れくさそうに首の後ろを掻く彼を前に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら席に着いた。
ナイフを入れると、とろりと溢れ出す完璧な半熟の黄身。一口食べると、信じられないくらい美味しくて、自然と頬が緩んでしまう。
「すごい……! ねぇ、ポーチドエッグってどうやって作るの?」
私が純粋な驚きと共に問いかけると。
彼は、淹れたてのコーヒーをマグカップに注ぎながら、ふっと優しく目を細めた。
「簡単だよ。……今度、良かったら教える」
――今度。
その、ごく自然に口にされた『未来の約束』。
この15年間、彼から一度も与えられることのなかった、次があるという当たり前の事実。
その言葉が何よりの愛の証明だと気づいた私は、また泣きそうになってしまうのを必死に誤魔化しながら、彼が作ってくれた、世界で一番美味しい朝食を口へと運んだのだった。