蒼へ沈む
カラン、と。真鍮の重たいドアベルが、静かな海鳴りに混じって涼やかな音を立てた。
珈琲の深い香りが漂う店内は、人がまばらながらも、数人の客が穏やかに談笑している心地よい空間だった。
窓際に備え付けられた5席ほどのカウンター席に、円形のテーブル席が3つほど。磨き上げられた大きな窓からは、夜の闇に沈みゆく汐鳴の綺麗な海が一望できる。
古びた納屋のような外観からは想像が出来ないほど、内装は綺麗に整えられていた。
壁に立てかけられた少し年季の入ったサーフボードや、真鍮の船時計など、海にまつわる数多くのアンティークが、恐らくこの店主のセンスの良さと、海への深い愛情を物語っていた。
「いらっしゃい。お一人さん?」
ふいに、キッチンカウンターの奥から声が届く。
――イケメンのミステリアスな店主、か。
さっきすれ違った女子大生たちの言葉を思い出しながら、私はぼんやりと声のした方へ視線を向けた。
こんな寂れた過疎の町で、わざわざオシャレなカフェを開くなんて。まぁ、地元で育った若者じゃないんだろう。地元の若者なら、みな見えない羽根を生やして、もっと都会に出て自分の店をやりたがったはずだ。
そう、冷めた頭で考えていた、矢先だった。
「…………え」
グラスを拭きながら奥から姿を現した『店主』と視線がぶつかり――私の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
「……夏菜、ちゃん?」
「燈、矢……さん」
お互いの顔を見た瞬間。店内に流れていた静かなボサノバも、客の談笑も、波の音すらもすべてが遠のいていく。
手に提げていた重たい医療バッグが、床に滑り落ちそうになるのを必死で握り直した。
まるで、この小さな空間だけ完全に時が止まったように。私たちは一瞬、息をする方法すら忘れて、互いをただ見つめたまま動けなくなっていた。