忘れた記憶が導く、もうひとつの恋-本当に愛する人は誰?-
第6話 偽りのキス
夜。
霧が深まる廊下を、咲は自分の部屋へ戻ろうとしていた。
けれど、どこか胸の奥がざわついて、足が止まる。
蓮と過ごしたあの夜の余韻。
彼の指が頬に触れた瞬間、世界が止まったように感じた。
――けれど、まだ彼は“思い出して”いない。
その現実が、胸に痛かった。
「桐原さん。」
背後から声がした。
振り向くと、悠斗(ゆうと)が立っていた。
彼は軽く笑っていたけれど、その瞳の奥には、どこか複雑な光が宿っていた。
「こんな時間に、ひとりで?」
「眠れなくて……。」
「俺も。 ここに来てから、変な夢ばかり見るんですよ。 ――誰かを失う夢ばかり。」
静かな廊下に、二人の声だけが響く。
悠斗は一歩近づいた。
その距離が、近すぎて、咲の呼吸が止まる。
「ねぇ、桐原さん。 もし“本当に大切な人”を忘れてしまって、 その人の顔がもう思い出せなかったら…… 新しい誰かを、好きになってもいいと思いますか?」
「え……?」
背中には固く冷たい感触がした。
咲は息を呑んだ。
悠斗の瞳はまっすぐで、逃げ場がなかった。
「俺は――あなたが誰かを忘れてても、 今の“あなた”に惹かれてる。 過去じゃなく、今を選びたい。」
そのまま、悠斗の指が咲の頬に触れた。
あたたかくて、優しい。
彼は、そのまま顔を近づけてきた。
その瞬間――
咲の中で、強い光が弾けた。
(……誰か、いる。私には――)
脳裏に、ひとりの男性の姿が浮かんだ。
あの静かな声。
不器用に笑う横顔。
――蓮。
そして、その後ろに、幼い笑顔。
小さな手を握る、子どもたち。
その瞬間、咲の頬を涙が伝った。
「……ごめんなさい。」
小さく首を振ると、悠斗の手が止まった。
彼もまた、すぐに気づいたように表情を緩めた。
「……そうだよね。 やっぱり、どこかにいるんだ。 君の中で、消えない人が。」
「私、誰かを忘れてしまってる。 でも、その人が――“全部”だった気がするの。」
悠斗はゆっくり手を離し、微笑んだ。
少しだけ寂しそうに。
「なら、俺は引き下がるよ。 “君を奪う”より、“君が本当の愛を取り戻す”のを見たいから。」
咲の胸がきゅっと締めつけられる。
「悠斗さん……。」
「大丈夫。俺もこの場所で、 “手放す愛”があるって気づいたから。」
そう言って、悠斗は一歩後ろへ下がった。
そして、霧の中に消えていった。
咲はその場に立ち尽くし、 胸に手を当てた。
――蓮。
――どうして、あなたの顔だけ、こんなに涙が出るの。
遠くで、鐘の音が響いた。
それは“真実の夜明け”を告げる合図のように感じられた。
霧が深まる廊下を、咲は自分の部屋へ戻ろうとしていた。
けれど、どこか胸の奥がざわついて、足が止まる。
蓮と過ごしたあの夜の余韻。
彼の指が頬に触れた瞬間、世界が止まったように感じた。
――けれど、まだ彼は“思い出して”いない。
その現実が、胸に痛かった。
「桐原さん。」
背後から声がした。
振り向くと、悠斗(ゆうと)が立っていた。
彼は軽く笑っていたけれど、その瞳の奥には、どこか複雑な光が宿っていた。
「こんな時間に、ひとりで?」
「眠れなくて……。」
「俺も。 ここに来てから、変な夢ばかり見るんですよ。 ――誰かを失う夢ばかり。」
静かな廊下に、二人の声だけが響く。
悠斗は一歩近づいた。
その距離が、近すぎて、咲の呼吸が止まる。
「ねぇ、桐原さん。 もし“本当に大切な人”を忘れてしまって、 その人の顔がもう思い出せなかったら…… 新しい誰かを、好きになってもいいと思いますか?」
「え……?」
背中には固く冷たい感触がした。
咲は息を呑んだ。
悠斗の瞳はまっすぐで、逃げ場がなかった。
「俺は――あなたが誰かを忘れてても、 今の“あなた”に惹かれてる。 過去じゃなく、今を選びたい。」
そのまま、悠斗の指が咲の頬に触れた。
あたたかくて、優しい。
彼は、そのまま顔を近づけてきた。
その瞬間――
咲の中で、強い光が弾けた。
(……誰か、いる。私には――)
脳裏に、ひとりの男性の姿が浮かんだ。
あの静かな声。
不器用に笑う横顔。
――蓮。
そして、その後ろに、幼い笑顔。
小さな手を握る、子どもたち。
その瞬間、咲の頬を涙が伝った。
「……ごめんなさい。」
小さく首を振ると、悠斗の手が止まった。
彼もまた、すぐに気づいたように表情を緩めた。
「……そうだよね。 やっぱり、どこかにいるんだ。 君の中で、消えない人が。」
「私、誰かを忘れてしまってる。 でも、その人が――“全部”だった気がするの。」
悠斗はゆっくり手を離し、微笑んだ。
少しだけ寂しそうに。
「なら、俺は引き下がるよ。 “君を奪う”より、“君が本当の愛を取り戻す”のを見たいから。」
咲の胸がきゅっと締めつけられる。
「悠斗さん……。」
「大丈夫。俺もこの場所で、 “手放す愛”があるって気づいたから。」
そう言って、悠斗は一歩後ろへ下がった。
そして、霧の中に消えていった。
咲はその場に立ち尽くし、 胸に手を当てた。
――蓮。
――どうして、あなたの顔だけ、こんなに涙が出るの。
遠くで、鐘の音が響いた。
それは“真実の夜明け”を告げる合図のように感じられた。