私の愛すべき人~その別れに、愛を添えて~
「悪い、ちょっと待ってて」

人通りの少ない公園を横切っていると、突如一ノ瀬が、公園の公衆トイレへと方向転換した。

あんな落書きだらけの不気味なトイレ、よく入れるな。変なことに感心しながら、私は近くのベンチに腰掛ける。

彼の大きな背中が、トイレの建物の中に吸い込まれて見えなくなると、さっきまで彼の存在が遮ってくれていた夜の闇が、一気に私の上に覆いかぶさってくるようだった。急に心細くなる。

「早く戻ってきて」

そう独り言をこぼした時だった。

背後の茂みからガサガサと音がして、ぬっと一人の男が現れた。

「ひっ……!」

だ、誰? 男はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべ、私に近づいてくる。

心臓がドクッドクッと早くなり、嫌な音を立て始める。

「お姉さん、一人? 寒い中、誰か待ってるの?」
「……っ」

全身の血の気が引く。怖くて声も出せず、後ずさろうとする私の肩に、男が馴れ馴れしく手を伸ばしてきた。

「や、やめてください」

振り払おうとするが、力が強くて振りほどけない。初老の男性に見えるが、やはり男の人には勝てない。

「かわいいね。俺と遊ぼうよ」

どうしよう……怖い。一ノ瀬、早く……。ギュッと目を閉じた時だった。

「俺の連れに何か用か?」

地を這うような低く冷たい声が、私のすぐ傍で響いた。

< 124 / 190 >

この作品をシェア

pagetop