前世を思い出して賢くなったぼく、家族仲を改善します!
 現状を冷静に分析したぼくに隙はない。

 ネッドが持ってきてくれた紙とペンを使って、今世の名前を書いてみる。

「む?」

 賢くなったので簡単に文字が書けると思っていたのだが、手がうまく動いてくれない。すごく五歳児っぽい歪んだ文字になってしまった。どうしてぇ。

 きちんと綺麗に書き上げた名前をお兄様にお披露目して、ぼくの賢さを認めてもらおうと思ったのに。お兄様はぼくのことをお馬鹿な子だと思っている。それゆえに時折冷たい目を向けられるのだ。クールなお兄様は、こんなお馬鹿な弟が嫌なのだろう。

 しゅんと肩を落とすぼくは、歪んだ文字を前にしてため息を吐いてしまう。

 ちらりと顔を上げたお兄様が怪訝な顔でぼくの手元を確認している。

「……下手くそ」

 がーん!
 そんなストレートに言わなくても。それきりぼくから視線を逸らしたお兄様は、とってもクールである。でもぼくは五歳なので、もうちょい優しくしてもらわないと悲しくなっちゃう。

 さっと紙を裏返して、なかったことにする。

「お兄様。ぼくはお兄様と仲良くしたいです」

 こうなれば直球で勝負だ。
 ぼくは五歳なので、思いついたことをそのまま口にしたって許されるはず。にこにこ笑顔でお兄様を見つめるが、お兄様は無反応である。なんでやねん。

 家族仲が悪くて、良いことなんてないと思う。このままでは家族がバラバラになってしまう。下手すれば物騒な事件が起きるかもしれない。

「お兄様はクールでステキです。ぼくの憧れです」
「……」

 無言だが、お兄様の眉がピクッと動いた気がした。おぉ? 褒めて仲良くなる作戦、意外といける?

「お兄様は髪の毛がきらきらでかっこいいでーす! あと動きが丁寧でステキです。ぼくにはできません」

 すごいですと褒め称えれば、お兄様の眉間に皺が寄った。なにかを耐えるような表情である。

「お兄様! ぼく、お兄様みたいになりたいです!」

 大声で宣言すれば、部屋が静まり返る。これまでも静かな空間だったが、ぼくの大声のせいで余計に静寂が気になってしまう。

 ちょっと恥ずかしくなって俯けば、シリルお兄様がボソッと呟いた。

「……無理だよ」
「なぬ!」
「君には無理」

 ふんとそっぽを向いたお兄様に、ぼくはショックで固まってしまう。そんな強めに否定しなくても。ぼくだって成長したらクール系になれる可能性大だと思う。だってシリルお兄様の弟だもん。

 しかしこれ以上言い返す勇気もなく、座ったままおとなしくしておく。

 ぼくを無視して本を読んでいたお兄様は、ふと顔を上げて壁際に控えていた使用人さんを呼びつける。お茶を用意するよう言い付けて、それきり読書に戻ってしまう。

 先程、庭園でお茶を飲んでいたのだが、ぼくが邪魔をしたために途中で帰ってきてしまった。

 ほどなくして、使用人さんがカートを押して入ってきた。あまり見たことない若い男性だ。お兄様付きの使用人さんだろうか。昨日までのぼくは、シリルお兄様のことを避けていたので知らなくても無理はない。

 お行儀よく座りながら眺めていれば、手際よくお茶が用意されていく。ちゃんとぼくの分もある。ネッドは手出しせずに、じっと控えている。

「お兄様ぁ。ぼく、おやつ食べるの好きです」
「……」

 お茶菓子がないぞと遠回しにアピールしてみるが、お兄様は無言。仕方がないので、用意されたティーカップを手に持つ。ひと口飲んでぼんやりしていたのだが、手持ち無沙汰だ。

 そのうちお兄様もカップを手にした。けれどもちょっと紅茶の匂いをかいで眉を寄せる。

「いつもと違う?」

 給仕していた男性に問いかけるお兄様は「いつものがよかったんだけど」と文句を言い始める。声をかけられた男性は、恐縮したように頭を下げつつ茶葉を切らしてしまったと説明している。

 なるほど。お兄様は紅茶にこだわりを持つタイプか。ぼくは紅茶よりもジュースが好き。

「この甘ったるい匂いはなんなの」

 甘ったるい?
 お兄様の言葉に、首を傾げる。手元にあったカップをかいで確認するけど、お兄様が言うような甘ったるい匂いは感じられない。

 ぼくの鼻がおかしいのか?

 好奇心を抑えられなくなったぼくは、さっと立ち上がってお兄様に近寄る。

「ちょっと見せてくださぁい」
「あ、ちょっと」

 お兄様が片手で持っていたティーカップの香りを確認しようと体を寄せたはいいが、勢い余ってお兄様の腕にぶつかってしまった。

「うわっ!」

 焦ったような声の後に、お兄様のティーカップから勢いよく紅茶がこぼれてしまった。あ、まずい。

 幸いカップを落とすことはなかったが、熱い紅茶がお兄様の手や服にかかってしまった。

「なにするの!」
「ご、ごめんなさい」

 お兄様の剣幕に、しゅんと肩を落とす。悪気はなかったのだが、結果的にお兄様の邪魔をしてしまった。すかさずネッドがタオル片手に寄ってくる。

 手際よく片付けられていくのを首をすくめて見守るしかない。上着を脱いで眉間に皺を寄せるお兄様は、ぼくを睨みつけてくる。

 仲良くなるはずが、嫌われてしまった。

 落ち込んでいると、扉が開いてバタバタと飛び込んでくる人影があった。

「どうしました!?」

 目を丸くして部屋を見渡すのは、茶髪と大きな目が特徴の細身の青年だ。お兄様の侍従ディルクである。騒ぎを聞きつけて駆けつけたのだろう。

 ネッドと揃いの黒いスーツのような服装の彼は、あわあわとシリルお兄様に近寄る。

「大丈夫ですか!? シリル様」
「どこに行っていたんだ」

 声の大きいディルクは、テーブルにこぼれた紅茶を無造作に拭き始める。ディルクは動きが大きくて雑なところがある。

「……ん?」

 一瞬眉を寄せたディルクは、完全に片付けの手を止めると、テーブルに残っていたカップに鼻を寄せた。そのままくんくんと匂いを嗅ぐディルクに、シリルお兄様が冷たい目を向けている。

 グッと険しい顔になったディルクは、ぼくのカップの匂いも確認し始める。真面目な様子で床に膝をついて、ひたすら匂いを嗅ぐディルクはちょっと犬っぽい。

 ちょっぴり引いていると、ディルクがガバリと顔を上げた。

「シリル様! これ飲みましたぁ!?」

 お兄様の肩をガシッと掴んで、青い顔になるディルク。突然の奇行に、お兄様はうんざりした顔でぼくを見た。

「口をつける前にこぼしたんだよ」

 ひぇ、めっちゃ怒ってる。睨まれたぼくは、頭を抱えてお兄様の様子を窺う。だが、ディルクだけは安堵の表情を見せた。一体なんだろうと首を捻ったそのとき。

「っ、クソ!」

 先程まで給仕していた男がなにやら口汚い言葉を吐き捨てた。なんだろうと振り返るぼく。

 大きく右腕を振り上げた給仕の男。その手に握られた小型のナイフ。

 突然のことに固まるぼく。しかし刃先の行方を理解して、息を呑んだ。

「お兄様!!」

 冷静さを欠いたぼくは、夢中でお兄様の前に駆け出す。そのまま目を見開くお兄様にぎゅっと抱きつけば、バランスを崩したお兄様が尻もちをついてしまう。

 絶体絶命のピンチ!

 そう思ったのも束の間。さっと横から飛び出してきたディルクが、男の右腕を掴んで引き寄せた。そのまま流れるような動作で、男を投げ飛ばす。背中を強打した男が痛みに呻くのを確認して、ぼくはお兄様にしがみついたまま全身の力が抜けるのを感じた。
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