前世を思い出して賢くなったぼく、家族仲を改善します!
「……」

 しんと静まり返る室内は、困惑で満ちていた。ぎゅっとお兄様にしがみついていたぼくは、お兄様がディルクを見上げたことで我に返る。慌ててお兄様から離れると、ぼくがやっちゃったことを思い出して青ざめる。

「お、お兄様。ごめんなさい」

 なんか勢いあまってお兄様に尻もちをつかせてしまった。何か言われる前に、とりあえず謝罪しておこう。ぺこぺこ頭を下げていると、シリルお兄様が眉間に皺を刻んだまま倒れている給仕の男を眺めていた。

 手際よく男が握っていたナイフを奪い取るディルクには、変な迫力があった。ピリッとした空気を纏う彼は、素早く室内の様子を観察している。

 ぽかんと固まるぼくに、ネッドが駆け寄ってくる。

「フィル様? お怪我はありませんか」
「ないでーす」

 どちらかといえば、ぼくに突き飛ばされたシリルお兄様の方が怪我してそう。けれどもお兄様が痛がる素振りはない。無事だったらしい。

 騒ぎを聞きつけて集まってきた使用人や、屋敷の警備を任せている騎士たちが給仕の男をどこかへ連れて行く。

 そうして再び静けさを取り戻した室内に、シリルお兄様の低い声が響いた。

「なに、今の」

 ちょっぴり震える声に、お兄様の様子を伺う。そりゃ突然ナイフで刺されそうになったら驚くよな。ぼくもびっくりして心臓止まるかと思った。

 思えば、咄嗟にお兄様が危ないと思って飛びついてしまったが、そのせいでお兄様は尻もちをついてしまった。普通に逃げ遅れになってしまうところであった。ぼくがなにもしない方がお兄様もスムーズに逃げられたと思う。

「これ。毒ですね」

 しゅんと肩を落とすぼくであったが、直後にディルクが発した言葉に目を見開く。ディルクはお兄様が手にしていたティーカップを指していた。

「毒?」

 ぎょっとしたように肩を揺らすお兄様は、紅茶がこぼれた辺りから遠ざかる。ぼくも釣られてテーブルから距離を取る。

「この甘い匂いは間違いないですね」

 なんでも致死性の高いもので、甘い香りが特徴だという。はじめはどこぞの薬師が趣味で作ったらしいが、ここ最近で広まり始めているらしい。もちろん違法なものである。国王陛下の指示で、王立騎士団などが出所を探っている最中なのだとか。とはいえその特徴的な香りから、知識のある者にはあまり通用しない。「俺、鼻がいいんで」とドヤ顔で宣言するディルクは、やはり犬っぽい。

「……よく知ってたな」

 呆れたような感心したような。そんな目をディルクに向けたお兄様は「知らずに口に入れるところだった」とボソッと呟く。

 その目が、ぼくに向けられた。

「まさか、フィルは気がついていたのか?」
「……え!?」

 ぼくがぁ!?
 そんなわけない。単なる五歳児が最近出回り始めた毒の知識なんて持っているわけがない。驚きにあわあわするぼくであったが、唐突にお兄様に抱きしめられたことで身動きできなくなる。

「お、お兄様……?」

 膝をついたお兄様。ぎゅっと背中に腕をまわされて、困惑に目をぱちぱちさせる。記憶では、シリルお兄様はぼくを少々邪険に扱っていたはず。こんな風に抱きしめられたことは一度もないと思う。

 どう反応していいのかわからずに、ぽかんと立ち尽くす。ぼくは相当間抜けな顔をしているに違いない。

「フィル」

 そっと離してくれたお兄様は、今度はぼくの両肩に手を置いて瞳を覗き込む。きれいな碧眼が、なんだか普段以上にきらきらしている気がする。

「もしかして僕を助けてくれたの?」
「うぇ!?」

 助け、助けたと言えるのか?
 お兄様のピンチに慌てたのは事実である。助けなきゃと思ったのも間違いはない。だがぼくがやったのはお兄様に体当たりするという行為であって、到底お兄様の助けになったとは思えない。むしろお兄様の逃げる邪魔になっただけのような気がする。

 うーんと首を傾げるぼくに、シリルお兄様が声を弾ませて「フィルがぼくを助けてくれるなんて……!」とひとりで感動し始める。ぼくって一体どんな人間だと思われているのだろう。ピンチに陥ったらお兄様のこと見捨てて逃げるような子だと思われているのだろうか。その可能性はちょっとある。お兄様はぼくのことをお馬鹿さんだと思っている節があるから。

 お兄様、ちょっと落ち着いた方がいいよ。突然のことでパニックになるのはわかるけど、一旦落ち着こう?

「フィルは僕の命の恩人だね」

 お兄様に優しく微笑まれて、困惑してしまう。命の恩人は、どちらかといえばディルクでは?
 毒の存在に気がついたのはディルクだし、男を投げ飛ばしたのもディルクである。全部ディルクひとりで解決したようなものだ。

 困った末にディルクに視線を向ける。けれども彼はにこにこした表情でシリルお兄様とぼくを見守っている。ネッドもどこか微笑ましいものでも見るような顔だ。

「……シリルお兄様」
「うん?」

 名前を呼んでみれば、にこっときれいな笑みが返ってくる。先程までぼくに冷たい目を向けていた人とは思えない。態度が変わり過ぎでは?

 しかしお兄様はそれだけ怖い思いをしたのだろう。しっかりしているように見えて、お兄様はまだ十二歳だしね。家族に甘えたいお年頃なのだろう。

「シリルお兄様が無事でよかったでーす!」

 とりあえずお兄様の無事を喜んでおくことにする。クール系はどこへやら。お兄様は、とっても嬉しそうに目元を綻ばせた。
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