不幸令嬢、今度は継母として新しい幸せを手に入れます!

第一章 不幸令嬢、離婚を突き付けられる

「おまえは、僕を殺す気か?」
「え……」

 夫であるジョセフから投げつけられた突然の言葉に、私は情けないことに立ち尽くすことしかできなかった。

 数日ぶりに会う夫は、出迎えた私を視界に入れるなり顔を歪めた。
 仕事のために屋敷を空けていたジョセフである。妻としてその帰宅を待ちわびていた私だが、ジョセフは悪意のこもった目でこちらを睨み付けてくる。そんな悪意を向けられる心あたりが一切なかった私は、戸惑いに視線を揺らした。

「え、あの。なんのことだか」

 必死に言葉を絞り出したのだが、ジョセフはますます表情を歪める。馬車に背を向けて、こちらに大股で寄ってきたジョセフは私の前でぴたりと足を止めた。胸を張って、こちらを見下ろすその態度は到底妻に向けるものではないと思う。

「おまえと一緒にいると、こっちまで不幸に見舞われる!」
「え」

 半ば叫ぶような物言いに、私の足元がふらりとよろめいた。

 私――メアリーは生まれつき不幸な女だった。

 そもそも私は、あまり望まれていない子供だった。それもそのはず。私は父の浮気相手だった女から生まれたのだ。しかし母との間に子供ができなかった父は、これ幸いと私を正式な娘として子爵家に迎え入れた。

 当然、母はそれに反発した。夫が浮気していたこともショックだったに違いない。その上、その浮気相手との間に生まれた子供を引き取ると言い出したのだ。母の内心が穏やかではなかったことは簡単に想像できる。

 けれども母と父の間には一向に子供ができなかった。その点を父から強く指摘された母は、折れるしかなかったらしい。こうして私は、ロバーツ子爵家の娘として育てられることになったのだ。私と母の血がつながっていないことを知ったのは、私が十歳の頃だったと思う。母がポツリとこぼしたのだ。

『あなたは私の娘じゃないもの』

 その時の母の歪んだ表情はよく覚えている。

 それまで私は、それなりに幸せな生活を送っていたと思う。父と母は、それなりに私のことを愛してくれた。でも母は、たぶん本心では私のことを憎んでいたのだろう。けれども子供ができない罪悪感から、仕方がなく私の存在を受け入れた。
 そう考えるようになったのは、母がたびたび私に嫌味のようなことを言うようになったからだ。まぁ、その原因は私にもあるのだけど。

 私はとにかく運が悪い。不幸なのだ。これまでの人生、数々の不幸に襲われた。
 楽しみにしていた日に大雨が降るなんてのは当たり前、些細な賭けにも負け続け、ちょっとの不運で命を危機に晒したことも幾度か。

 いつしか私は、「不幸なメアリー」と呼ばれるようになった。母が私を鬱陶しく思うのも、無理はないだろう。

 そんな私でも、年頃になれば婚約者ができた。伯爵家の長男であるジョセフは、最初は私にも優しくしてくれた。父に似て目鼻立ちがはっきりしていた私である。癖のない銀髪は、おそらく会ったこともない本当の母親譲りなのだろう。
 ジョセフは私の髪を綺麗だと褒めてくれた。ジョセフと結婚したのは、私が二十四歳のとき。あれから二年が経過したことで、私たちの関係も変わってしまった。

 ジョセフも、私が不幸なメアリーと呼ばれているのをどこかで耳にしたのだろう。最近では、少し不幸なことがあるとすべて私のせいにしてくる始末。おそらく、結婚から二年経ってもなお子供ができないことに苛立っているのだと思う。ジョセフはジョセフで、周囲の人間から「子供はまだ?」と急かされているのだろう。

 自分が同じ立場になってみて、私は初めて母に同情のような感情を抱いた。母だって、今の私と同じように肩身の狭い思いをしていたに違いない。そんな風に前々からギクシャクしていた夫婦関係だが、私は足元が崩れるような感覚に陥った。

「僕のことがそんなに憎いのか」
「憎いだなんて、そんなこと」

 帰宅直後からジョセフは怒りに身体を震わせている。一体なにをそんなに怒っているのだろうか。不安に揺れる私は、自分の胸元で右手をぎゅっと握った。茶髪をきれいに整えたジョセフが、片手を腰に当てた。私を見下ろすように立っている彼は、「君と一緒だと、命がいくつあっても足りないっ!」と言い捨てた。

 乱暴に懐へと手を突っ込んだ彼は、荒々しい動作でなにかを引っ張り出した。白いハンカチだ。すごく見覚えのあるものだ。

「あ、それは私が」

 出発前に、私がジョセフに渡したものだ。無事に帰ってきてほしい、仕事が上手くいきますように。そんな願いを込めてジョセフが以前好きだと言った花を刺繍したハンカチ。

 それをひらひらと振ってみせたジョセフは、苛立ったように投げつけてきた。風に舞うハンカチは、勢いをなくして私とジョセフの間に落ちた。

 土の上に落ちた白いハンカチをぼんやり見つめていると、ジョセフが「もう我慢の限界だ」と発した。
 ジョセフによれば、仕事先に到着した際に今と同じように懐からハンカチを取り出したらしい。その時たまたま強風が吹いてハンカチをさらっていった。慌ててそれを追いかけたジョセフは、危うく通りかかった馬車に轢かれそうになったのだとか。

 それは、私のせいなのか?

 戸惑う私だが、冷静さを失ったジョセフは感情あらわに憤る。
 正直言って、私は関係ないと思う。思うのだが、心の中にほんのちょっとだけ「もしかしたら私のせいかもしれない」という気持ちが湧いてくる。

 私が不幸なことは、この二十六年という人生の中で自覚していた。やることなすこと、ことごとく失敗しまくった人生だった。ようやく結婚して人並みの幸せを手に入れられたと思ったのだが。

 幸せとは、どうやらそう簡単に入手できるものではなかったらしい。
 落ちたハンカチを拾い上げて、丁寧に土を払う。折りたたんでジョセフに視線を向けるが、鋭く私を睨み付ける彼はもう受け取ってくれそうにない。仕方がなく、私はハンカチを両手で握ったままジョセフの言葉を待った。

「もう別れてくれ。君のせいでこっちは散々な目にあっているんだ」

 淡々と紡がれた言葉は、ある程度予想のできていたものではあった。でも、実際に面と向かって言われると、頭の中が真っ白になる。なにか言わなければと思うものの、私の喉元は凍り付いたように動かない。

「っ!」

 やっとのことで息を呑む私から、ジョセフは顔を背けた。そのまま私に一瞥もくれることなく、屋敷の中に引っ込んでしまった。

 こうして私は、ジョセフとの二年という短い夫婦生活を終えることになった。



「そんなに落ち込むことないよ、メアリー。単に性格が合わなかっただけだよ、ね?」

 家を出て行ったはずの娘がのこのこ帰ってきたというのに、父はそう言って優しく励ましてくれた。父は昔から私に優しい。ずっと子供を望んでいたからだろう。それに私と父はちゃんと血がつながっているから。

 問題は母だ。父の前では、「好きなだけここにいていいのよ」と優しく微笑んでくれたのだが、父のいないところでは露骨にため息を吐かれてしまった。いや、これも全部のこのこ戻ってきた私が悪いんだけど。

「メアリー、はやく新しい人を見つけたほうがいいんじゃない?」
「はい、お母様」

 母の主張は正論である。もう二十六。しかも離婚歴あり。おまけに不幸なメアリーという不名誉な呼び名が定着しつつある。この状況で、新しい結婚相手を見つけるのは相当難しい気がした。

 父の部屋にて。
 両親を前にして項垂れる私に、父が苦笑した。

「そんなに焦ることはないよ。こういうのは運も大きいからね」
「あら? そうなるとメアリーにはちょっと厳しいわね」

 母の冗談めいた言葉に、父がまたもや苦笑する。
 そのなんとも息が詰まる空間に、私は逃げ出したくなる。たしかに私は運が悪い。結婚に運という要素が大きく絡んでくるのであれば、母の言う通り私はとても不利な立場に置かれていると思う。

「できるだけ、はやく屋敷を出て行けるように頑張りますので」
「そんなに思い詰める必要はないよ。のんびり気楽に探せばいいさ」

 にこやかに言ってくれる父の横で、母がうっすらと口元に笑みを浮かべていた。その目がまったく笑っていないことに気が付いて、はやく家を出て行かなければならないと決意した。

 父の部屋をあとにした私は、張りつめていた息を深く吐き出した。緊張を解すように呼吸を繰り返して、なんとなく庭に足を向けた。

 私は昔から、人にあれこれ言い返すのが苦手だ。気が弱いという自覚はある。
 気分転換のために太陽の下を歩いてみる。手入れの行き届いた庭園では、色鮮やかな花々が咲き誇っていた。風が運んでくる花の香りを深く吸い込んで、心を落ち着ける。

 両親から逃げるように足を進める私は、いつの間にか屋敷から離れたひと気のない場所まで来てしまった。屋敷を囲うように設置されている塀が見えるあたりまで来て、ようやく足を止めた。

 新しい夫というのは、どうやって見つければいいのだろうか。
 そもそもジョセフを私に紹介してくれたのは父だ。歳も近いからピッタリだと思ったのだろう。父の目論見通り、最初はそれなりに上手くいっていた。でも徐々に色々なことが噛み合わなくなっていった。

 無意識のうちにため息がこぼれた。
 しかし落ち込んでいても仕方がない。頭を振って後ろ向きな発想を追い出して、前を向いた。

「私だって、がんばったら人並みな幸せくらい」

 手に入れられるはず。

 ぎゅっと拳を握った私であったが、ふいに草花の揺れる音が聞こえてそちらに顔を向けた。

 屋敷を囲む塀の近くから、なにかの気配が感じられる。
 もしかして猫でも迷い込んだのだろうか。猫は好きだ。犬も好き。ちょっと触らせてくれないだろうかと期待して、音のした方に足を向けたその瞬間。

『にゃー!!』
「きゃあ!?」

 勢いよく飛び出してきた物体に、思わず悲鳴を上げた。しかし屋敷からは離れた位置であったため人が集まってくる気配はない。

「ね、猫ちゃん?」

 びっくりした。急に飛び出してくるから、驚いて悲鳴をあげてしまった。まだバクバクする心臓のあたりを押さえて息を整えていると、地面に着地した猫がじっとこちらを見上げた。金色に輝く瞳と、白いふわふわの毛並み。可愛らしい猫の姿に、今度は頬が緩んでしまう。

「触ってもいい?」

 猫を刺激しないように、優しく声をかけてから微笑みかける。こちらに敵意はないと示す私に、猫はぴくぴくとヒゲを動かした。
 ゆっくりと屈んで、右手を伸ばした。もう少しで白いふわふわの毛に触れられるというその時であった。

『勝手に触るな、このブス』
「……」

 猫に手を伸ばした不自然な体勢のまま固まった私は、たった今起きた出来事をたっぷりと時間をかけて理解した。

「ねっ、猫がしゃべったぁ!?」

 二度目の私の悲鳴が、青空の下に響き渡った。
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