隣の席のハルタ先輩は様子がおかしい
その日の私はついていなかった。
「隅田さん、この資料どうなってんの?」
「えっ?」
「隅田さん担当なんだって? データの数字にミスが多すぎて、今日先方にかなりキレられちゃったんだけど。外に出ない事務方なんだからさ、こういうことくらいは最低限しっかりやってもらわなきゃ困るよ。責任持ってね」
その資料は、後輩の杉原さんが期限内に仕上げられないと言って、私が一部だけ手伝ったやつ……。そして目の前の先輩が指し示しているのは、たぶん杉原さんがまとめていたところ……。
ちらと杉原さんの席の方を見ると、杉原さんは聞こえているのかいないのか、スマホケースについた鏡でリップを塗り直している。
視線を戻すと、怒ってきた他部署の先輩はもういなかった。
大したことじゃない、ちょっとした行き違い。
再三見直ししたとはいえ、私のやったところにもミスがあったのかもしれないし。
そう言い聞かせようとしたけれど、心の中はちょっともくもくと雲が広がっていくようで。昼の12時を知らせるチャイムと同時に、私は席を立ってできるだけ早足で会社を出た。
こんなときは、本当は少し遠くのお店でランチしたい。けどうっかり今日も、手抜き弁当を作ってきてしまっている……。
そこで、数回だけ行ったことのある記憶を手がかりに、オフィス街のなかに少しだけの緑と広場があるエリアまで足を伸ばした私は、ぼんやりとお弁当を平らげた。小さなお弁当なので、20分もしないで食べ終わってしまう。
仕事も残っているので会社に戻ろうとする。けれど、なんとなく足取りは重い。
べつに誤解で叱られたことに傷ついたんじゃない。
後輩さんに便利に使われていたって、私は別にいい。
ただ、自分なりにいつも真剣に向き合っている仕事に対して、「こういうことくらい」と軽んじられたことが、ちょっとだけ悔しかった。
そして正直、隣の席の空白が心細かった。
ああいう時、春田さんがいたら。
春田さんはいつも、千里眼のように身の回りの仕事や状況を把握しているし、すごく公平な人だから、たぶんさりげなく助けてくれた気がする。そもそも春田さんがいる前だったら、あの先輩もあんなふうに人を責めなかった気がする。
春田さんがいてくれたら……。
いや、なにを勝手に頼りにして…。先輩は今日は外から直帰ってボードに書いてあったし、いつも誰かに頼られてる先輩を、私までむやみに頼りにしちゃうわけには……
そんなことをとりとめもなく考えていたとき、ふと歩いている道に面した小さなお店が目に留まった。
なんだかおしゃれで気の利いた外観。
なんの店かぱっと見でわからなかったが、小さな看板に「cafe & roastary」と書いてある。
コーヒー屋さんかな?
ちらっと覗くと、数坪の店内に、何台かのベンチとハイテーブル。店内でも時間を過ごせるようになっているらしい。
コーヒーのいい香りが鼻に流れ込む。
ふだんすごくコーヒー党というわけではないけれど、今日はまだ時間もあるし、なんとなく気分転換をしてから戻りたい……そう思い、思い切って店内に足を踏み入れた。
…けど、キッチンカウンターには誰もいない。他のお客さんもいないようだ。
「……? あ……あの〜……」
どこか奥にいるのだろうかと思い小さく呟いてみると、キッチンカウンターの中、ごそっと大きい何かが動いた。
「すみません、今ちょっと店主が買い出しに行ってて、すぐ戻るんで待っててくれます?」
男の人がしゃがんで何かを探していたようだった。喋りながらその人が立ち上がる。
「…………………春田さん?」
「……………げっ」
立ち上がったその人が、ハルタ先輩だった。