最強の騎士団長に嫁いだ偽りの公爵令嬢は、溺愛から逃げられない
 リーゼはほんの少し迷った。

 願いはあった。13年前に生き別れた弟の安否が知りたい。
 母とともに連れ去られた幼い弟はいま、母の死後、どこでどう暮らしているのか。

 生きていると信じて、父の命令に従ってきたけれど、あまたの戦いを生き抜いてきたシルヴィオなら、弟を救い出せるのではないか──

 でもそれを、願う言葉は出せなかった。

「満ち足りた生活を送れています」
「そうか。それならば、よかった。いつか、ヴァルディエ公爵邸での生活がそうであったように、あなたに贅沢させてやりたい」

 まるでそれが使命であるかのように話す彼の熱っぽい視線を受け、胸が痛む。

 もしかして、この人は私を愛してくれているのだろうか。

 そう気付かされたら、ますます苦しくなった。

 本当は、父の命令であなたを監視しているスパイだなんて、言えるはずがない。
 私は公爵令嬢ではない。本来なら、シルヴィオと結婚できる身分でもない。

 何もかも嘘で塗り固められた結婚のすべてを、今さらさらけ出せるはずがなかった。

 不意に扉がノックされ、「誰だ?」とシルヴィオが不機嫌そうに返事をすると、メイドの声がした。

「旦那様、お風呂の準備が整いました」
「……わかった。すぐに行く」

 シルヴィオは、まだ離れたくないとばかりにリーゼの肩を一度強く抱きしめ、それからわずかに自身の体の臭いを気にするようなしぐさをした。

「汗を流してくる。寝室で……待っていてくれ」
「お疲れですよね。すぐにお休みになれるよう新しいシーツのご準備をしておきます」
「ああ……、まあ、その……頼む」

 なぜか彼はうっすらと口元に笑みを浮かべて部屋を出ていく。
 ひとり残されたリーゼはほっと息をつき、窓の方へと視線を向けた。

 フィンは、無事に父のもとへ着いただろうか。

 あの密書が届けば、リヒトは今日も生かされる。
 その代償として、夫の命を差し出し、裏切り続ける日々に終わりはないのだ。
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