野いちご源氏物語 四六 椎本(しいがもと)
さすがに引きとめられず、(かおる)(きみ)大君(おおいぎみ)の入っていかれた奥の方を見つめていらっしゃる。
(ろう)女房(にょうぼう)(べん)(きみ)が出てきてお相手役を代わった。
昔や今の悲しい話をお聞かせする弁の君に、(かおる)(きみ)もお気持ちを打ち明けなさった。
ご両親の不祥事(ふしょうじ)を知っている女房だから、気を許していらっしゃる。

「幼いころに源氏(げんじ)(きみ)と死に別れて、この世はなんという悲しいところだと愕然(がくぜん)としたのだ。年を取っても何も楽しいことはなかった。出世もお世辞(せじ)も私の心には響かなかい。ただ(はち)(みや)様のご生活がうらやましくてね。静かなところでお(のぞ)みどおりに暮らしておられたのに、こんなにあっけなくお亡くなりになってしまった。ますますこの世が嫌になるのと同時に、やはりこの世など(かり)の住まいだと思い知らされた。

この機会にいっそ出家(しゅっけ)したいけれど、八の宮様に姫君(ひめぎみ)たちのお世話をすると約束してしまったからね。夫でもない私が『姫君を見捨てられなくて』などと申し上げては、勘違いするなと(しか)られてしまうかもしれないが。しかし、こうして宮様より長生きしている以上は、ご遺言どおりに何でもおっしゃっていただきたいし、できる限りのことをしてさしあげたいと思うのだよ。

あぁ、そう思う。たしかにそう思う一方で、そなたから聞いた昔話も忘れられない。あの思いがけない話を聞いて以来(いらい)、ますます出家へのあこがれは高まっている」
涙をこぼしながらおっしゃるので、弁の君はまして涙をこらえきれない。
お姿も雰囲気も亡き衛門(えもん)(かみ)様にそっくりでいらっしゃるの。
遠い昔のことなのに、乳母子(めのとご)として親しくお(つか)えしていたころのことを弁の君は思い出してしまった。
お返事もできずに泣きつづけている。
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