渋谷少女A続編・山倉タクシー
個人経営者とプータロー
山倉は表札を回送にすると浅草駅前の江戸通りを右折し、そのまま言問橋、白髭橋へと向かって、川沿いの通りを制限速度順守で走り出した。即ち、とてもゆっくりと。
「いやあ、悪いね、山倉さん」と再び恐縮する私に「いいってこってすよ、山本さん…いや、田中さん」とかなり古いギャグで応じる。苦笑しながら彼の個人タクシー経営に至る〝出世の〟経緯を問うと、川崎の倉庫勤務のあと彼はタクシー会社に就職し、そこで勤務するうちに親戚の男から個人タクシーの経営権を買ったのだそうな。へえーとばかりに私は羨むしかない。お互いが一時期しがない業務請負の仕事にあってそこを止め、その後の20年で今や個人経営者とプータローのこの身分差である。今の如何を尋ねる山倉に私は言葉を詰まらせるしかなかった。前記した如く、ある特別な事情と云うか、災難(典型的な人災)をその当時から私は被っていて、それゆえに文字通り“失われた20年〟をあのあと過ごすしかなかったのだ。何せ〝住居〟でつくづく苦労をするように私は運命付けられているらしく、当時住んでいた川崎市内のアパートが粗暴な土方の寮然としたものだったので私は横浜市鶴見区のアパートへと転居した。つまらないことだが私の鼾がうるさいとかで(大量の喫煙の為に口腔内が荒れ、確かに凄まじい鼾を私はかくのだった)彼ら土方に睨まれ、なお且つプライバシーに関することでも因縁を付けられて、彼らによって睡眠妨害を受けるに至ったからである。眠れなければ働けないから転居は必然だった。ところが、である。その転居先のアパートが又もや土方の寮然とした所で、それプラスこちらはやくざのチンピラどもがそこをシマ化して住んでいる始末。
「いやあ、悪いね、山倉さん」と再び恐縮する私に「いいってこってすよ、山本さん…いや、田中さん」とかなり古いギャグで応じる。苦笑しながら彼の個人タクシー経営に至る〝出世の〟経緯を問うと、川崎の倉庫勤務のあと彼はタクシー会社に就職し、そこで勤務するうちに親戚の男から個人タクシーの経営権を買ったのだそうな。へえーとばかりに私は羨むしかない。お互いが一時期しがない業務請負の仕事にあってそこを止め、その後の20年で今や個人経営者とプータローのこの身分差である。今の如何を尋ねる山倉に私は言葉を詰まらせるしかなかった。前記した如く、ある特別な事情と云うか、災難(典型的な人災)をその当時から私は被っていて、それゆえに文字通り“失われた20年〟をあのあと過ごすしかなかったのだ。何せ〝住居〟でつくづく苦労をするように私は運命付けられているらしく、当時住んでいた川崎市内のアパートが粗暴な土方の寮然としたものだったので私は横浜市鶴見区のアパートへと転居した。つまらないことだが私の鼾がうるさいとかで(大量の喫煙の為に口腔内が荒れ、確かに凄まじい鼾を私はかくのだった)彼ら土方に睨まれ、なお且つプライバシーに関することでも因縁を付けられて、彼らによって睡眠妨害を受けるに至ったからである。眠れなければ働けないから転居は必然だった。ところが、である。その転居先のアパートが又もや土方の寮然とした所で、それプラスこちらはやくざのチンピラどもがそこをシマ化して住んでいる始末。