愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
歓迎できない訪問者
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クリスマスが近づいてきたある日。
年に一度呼んでいるというピアノの調律師が、リビングの一角にあるグランドピアノを調律して帰っていった。
陽菜は俊哉がピアノを弾いている姿を一度も見たことがなかったのでその存在を忘れかけていたというか置物のように思っていたのだが、調律したということは現役なのだろう。
「俊哉さんて、ピアノ弾けるんですね」
「三歳から高二まで習わされていたんだけど、いまはもうめったに弾かないから全然指が動かない。実家から出たとき、持っていけって言われたから運んでもらったんだ」
「聞きたいです」
「……俺の話聞いてた?」
「弾いてください」
「わかったよ」
俊哉は苦笑いしてピアノの前の椅子に座った。陽菜はその隣に立つ。
「間違えても笑わないでくれよ」
両手を鍵盤の上に置いて、俊哉が息を吐く。それから弾きはじめたのは、クラシックに詳しくない陽菜でも聞いたことのある曲だった。
たしかにたまに突っかかったりはしているが、まったく弾けない陽菜から見れば十分上手い。
「これなんて曲でしたっけ」
「ドビュッシーの『月の光』」
五分くらいで曲が終わり、陽菜はパチパチと拍手を送った。
「ああ緊張した」
俊哉は背もたれに背中を預けて天井を仰いだ。
「十四年も習っていたなんてすごいです」
陽菜は習い事をしたことがない。
「子供の頃……特に小学生の頃は、レッスンに行くのが嫌で嫌でしかたなかったよ。遊びたい年頃だったしね。習うのを辞めてからは趣味としてたまに弾いている」
「また聞かせてくださいね」
俊哉の隣で彼が弾くピアノを聞くのは、とてもしあわせな時間だった。
「……練習しておくよ」
「それじゃ、お茶にしましょうか」
いただきもののフィナンシェがあったなと思いながら、陽菜はキッチンに向かって歩きだした。俊哉も陽菜の後ろについてきていたのだが。
「……ん」
立ち止まって、ポケットから取り出したスマートフォンを見ている。
なにか連絡が入ったようだ。
「ごめん、ちょっと電話してくる」
「はい、お茶の用意をして待ってますね」
俊哉はスマートフォンを手に持ったままリビングから出ていった。自分の部屋で電話をかけるのだろう。
最近、プライベートな時間でも俊哉に電話がかかってきたりメッセージが送られてきたりすることが増えた。
休日や夜に急に出かけることもたびたびあるし、浮かない顔をしていることもある。
気にはなっているが、陽菜には変わらず優しくしてくれるし、年末だから仕事が忙しいのかもしれないと思うので、不満を口にしたことはない。
それに夫婦だからといって、なんでもかんでも共有するべきだとは思っていない。陽菜にだって俊哉にあまり言いたくないことはある。
やかんを火にかけ、食器棚からマグカップをふたつ出す。
ドリッパーにペーパーフィルターをセットして、フィナンシェを菓子皿に入れた。
もうすぐお湯が沸くというところで、俊哉が自分の部屋から戻ってきた。
「ごめん陽菜、ちょっと出てくる」
申し訳なさそうな顔で言われ、陽菜はちらっとマグカップを見た。
「え……」
「夕飯までには戻るから」
「わかりました、いってらっしゃい」
ガスの火を消し、笑顔で見送った。
俊哉の姿が見えなくなると、陽菜はすぐに笑みを消した。
行先を言わなかったということは、会社に行くのではないだろう。
陽菜に言いづらいところといえば、いま関係性がいいとはいえない俊哉の実家か、もしくは──。
パーティーで会った美玲の顔が陽菜の脳裏に浮かぶ。あのとき美玲は、まだ俊哉と話したそうにしていた。
幼馴染だというふたりがどんな話をしているのかつい想像してしまい、もやもやしながら、陽菜はひとりでコーヒーを飲みフィナンシェを食べた。
クリスマスが近づいてきたある日。
年に一度呼んでいるというピアノの調律師が、リビングの一角にあるグランドピアノを調律して帰っていった。
陽菜は俊哉がピアノを弾いている姿を一度も見たことがなかったのでその存在を忘れかけていたというか置物のように思っていたのだが、調律したということは現役なのだろう。
「俊哉さんて、ピアノ弾けるんですね」
「三歳から高二まで習わされていたんだけど、いまはもうめったに弾かないから全然指が動かない。実家から出たとき、持っていけって言われたから運んでもらったんだ」
「聞きたいです」
「……俺の話聞いてた?」
「弾いてください」
「わかったよ」
俊哉は苦笑いしてピアノの前の椅子に座った。陽菜はその隣に立つ。
「間違えても笑わないでくれよ」
両手を鍵盤の上に置いて、俊哉が息を吐く。それから弾きはじめたのは、クラシックに詳しくない陽菜でも聞いたことのある曲だった。
たしかにたまに突っかかったりはしているが、まったく弾けない陽菜から見れば十分上手い。
「これなんて曲でしたっけ」
「ドビュッシーの『月の光』」
五分くらいで曲が終わり、陽菜はパチパチと拍手を送った。
「ああ緊張した」
俊哉は背もたれに背中を預けて天井を仰いだ。
「十四年も習っていたなんてすごいです」
陽菜は習い事をしたことがない。
「子供の頃……特に小学生の頃は、レッスンに行くのが嫌で嫌でしかたなかったよ。遊びたい年頃だったしね。習うのを辞めてからは趣味としてたまに弾いている」
「また聞かせてくださいね」
俊哉の隣で彼が弾くピアノを聞くのは、とてもしあわせな時間だった。
「……練習しておくよ」
「それじゃ、お茶にしましょうか」
いただきもののフィナンシェがあったなと思いながら、陽菜はキッチンに向かって歩きだした。俊哉も陽菜の後ろについてきていたのだが。
「……ん」
立ち止まって、ポケットから取り出したスマートフォンを見ている。
なにか連絡が入ったようだ。
「ごめん、ちょっと電話してくる」
「はい、お茶の用意をして待ってますね」
俊哉はスマートフォンを手に持ったままリビングから出ていった。自分の部屋で電話をかけるのだろう。
最近、プライベートな時間でも俊哉に電話がかかってきたりメッセージが送られてきたりすることが増えた。
休日や夜に急に出かけることもたびたびあるし、浮かない顔をしていることもある。
気にはなっているが、陽菜には変わらず優しくしてくれるし、年末だから仕事が忙しいのかもしれないと思うので、不満を口にしたことはない。
それに夫婦だからといって、なんでもかんでも共有するべきだとは思っていない。陽菜にだって俊哉にあまり言いたくないことはある。
やかんを火にかけ、食器棚からマグカップをふたつ出す。
ドリッパーにペーパーフィルターをセットして、フィナンシェを菓子皿に入れた。
もうすぐお湯が沸くというところで、俊哉が自分の部屋から戻ってきた。
「ごめん陽菜、ちょっと出てくる」
申し訳なさそうな顔で言われ、陽菜はちらっとマグカップを見た。
「え……」
「夕飯までには戻るから」
「わかりました、いってらっしゃい」
ガスの火を消し、笑顔で見送った。
俊哉の姿が見えなくなると、陽菜はすぐに笑みを消した。
行先を言わなかったということは、会社に行くのではないだろう。
陽菜に言いづらいところといえば、いま関係性がいいとはいえない俊哉の実家か、もしくは──。
パーティーで会った美玲の顔が陽菜の脳裏に浮かぶ。あのとき美玲は、まだ俊哉と話したそうにしていた。
幼馴染だというふたりがどんな話をしているのかつい想像してしまい、もやもやしながら、陽菜はひとりでコーヒーを飲みフィナンシェを食べた。