愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
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 十二月の初めに友里とふたりで作ったクリスマスに関する本のコーナーを、あと数日でお正月の本に入れ替えなければいけない。まるでスーパーみたいだなと思いながら、事務所で装飾用の折り紙を折る。
 鏡餅や門松、羽子板など色とりどりの折り紙の作り方は図書館にある本に載っている。図書館は本当に便利だ。
「渡會さんちは、クリスマスどうするの?」
 向かいの席で折り鶴を折っている友里が尋ねてきた。
「どう、とは」
「新婚さんだし、旦那さん稼いでそうだし、素敵なレストランでも予約したのかなあって。うちは去年と同じく、チキンとケーキ買ってきて家で食べるだけだけど。結婚式に向けて節約しなきゃいけないし」
 不満そうに口を尖らせているが、友里はなんだかんだいって同棲しはじめた恋人とラブラブだ。
「どうするか全然決まってないんだよね。最近仕事が忙しいらしくてそういうこと話し合える時間がなくて」
「あらら。でもこれからじゃ、もうレストランの予約は取れないんじゃない?」
「それならそれで、家で過ごせばいいかな」
 学生時代は母とふたりでスーパーで半額になったケーキを食べたりしていたが、家を出た去年はひとりで普段と変わらずに過ごした。特にそれで寂しいとも感じなかった。
 今年は俊哉と過ごせるなら、それだけで十分しあわせだ。平日だし凝った料理は作れなさそうだが、前日から仕込んでおけばビーフシチューくらいできそうだし、ケーキは当日デパ地下に行けばどうにかなるだろう。
 そんなことを考えていると、館長が事務室に顔を出した。
「お疲れ様です、館長」
「お疲れ様。渡會さん、ちょっといいかな」
 館長がちょいちょいと手招きしてくる。
「……はい」
 なんだろうと思いながら、事務室から出る。
「実はいま、カウンターに渡會さんのお父さんだと名乗る方が来ていてね」
 館長は声をひそめて言った。
「えっ」
 陽菜は一瞬目の前が真っ白になった。よろめきそうになるのをなんとか耐える。
「ただ、本当かどうか私にはわからなくて。もし違ったら大変だから、向こうからは見えないところからそっと確認してみてくれないか」
 館長はひどく言いづらそうにしている。
「そのひと、どんなひとでしたか」
「六十歳くらいで、キャップを被って……少しお酒を召し上がっているようだった」
「たぶん、父です」
 館長がすぐに陽菜に会わせるのを躊躇したくらいだらしない格好をしてカウンターの前に立っている父を想像しただけで、どんよりと気分が重くなる。
「すみません、ちょっと話してきます」
「そ、そうか。もうすぐ五時になるし、そのままあがっていいから」
「ありがとうございます」
 陽菜は友里にあとを任せ、ロッカー室でエプロンを外してコートを着た。
 下唇を噛んで階段を下りる。
 母同様本なんて読まない父は、所在なさげにカウンターの前に立っていた。
「お父さん」
「おお、陽菜、久しぶりだな」
 振り返った父は顔が赤く、軽くふらついていた。酔っぱらっているのは明らかだ。
「なにか用」
「おいおい、二年半ぶりに会ったんだ、もっと他に言うことはないのか」
「ここ職場だから。用件は手短に言って」
「おまえ、結婚したそうじゃないか。おめでとう」
 父が大げさに両手を広げて言った。
「ありがとう」
 父の「おめでとう」には心がこもっていなかったが、陽菜の「ありがとう」にもまったく心はこもっていない。
「それで……なんだ、えらい玉の輿に乗ったっていうじゃないか」
 たぶん母から聞いたのだろう。あんなに憎み合って別れたくせに、いまだに連絡を取り合っているなんて意味不明だ。
「外で話そう」
 陽菜は父の返事を待たずに出口に向かって歩きだした。これ以上同僚や利用者のいるところで父と話していたくはなかった。
 玄関を出て建物の脇に入ったところで、改めて父と向き合う。
「陽菜、父さんな、今月ガスを止められちゃって、ろくに風呂にも入れていないんだ」
 どうりで少し臭うわけだ。口から見える歯は黄色く、毎日歯磨きをしているのかも怪しい。父のすさんだ生活ぶりが容易に想像できる。
「……それで?」
「おまえすごいマンションに住んでるんだってな」
 陽菜が母からの電話に必要最低限しか出ないものだから、母は父を愚痴をいう相手にしたらしい。
「うちの風呂なら貸さないよ」
「そういうことを言ってるんじゃない。もっと、こう……わかるだろう?」
 父の白目は黄色っぽく、血走っていた。ねっとりした視線が気持ち悪い。こうして向き合っているだけで、ガリガリと精神が削られていく。
 陽菜はため息をついてバッグから財布を取り出した。そして一万円札を二枚抜き取り、父の胸の前に突きだす。
「おいおい、これだけかよ」
 不満そうな顔をされ、瞬間的に頭に血が上った。
「もう帰って!」
「おー、おっかねえ」
 大げさに身を震わせて、父は陽菜の手から二万円を取り、ズボンのポケットにそのまま突っ込んだ。
「それじゃ、また来るからな」
 ぴらぴらっと手を振って、父は陽菜に背を向け、帰っていった。
「はあ……」
 陽菜は大きなため息をついた。
 どっと疲れた。
 俊哉から生活費はもらっているが、化粧品や携帯電話代、奨学金、母への仕送りなど自分にかかる費用は自分で出している。アルバイトを辞めたから毎月のやりくりに余裕はない。それなのに今月の少ない稼ぎから二万円も渡してしまった。
 たいして感謝もされないのに、さっさと帰ってほしくて手っ取り早い方法を取ってしまった自分に嫌気がさす。
 父はきっと、また来るだろう。
 そして自分はきっと、またお金を渡すのだろう。
 次の給料日、仕送りを振り込んだあと、母の愚痴もきっと聞く。
 俊哉との生活があんまりしあわせなものだから、自分までなにか素敵なものに変われたような気分になっていたが、現実はこれだ。
 家に帰りたいのに、両親が絡みついているみたいに両足が重くて動けないでいると。
「──陽菜さん、だったっけ」
 後ろから名前を呼ばれ、緩慢な動作で振り返る。
 いま一番会いたくない人物が、そこに立っていた。
「美玲さん」
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