どうぞ、貴方がお望みの結末を。~死を偽装した才女と、彼女を搾取した人々の破滅の物語~
 ◇◇◇

 ロランがクラリスに婚約破棄を言い渡した瞬間、ルイーズの心は彼に愛されている喜びに震えた。
 ついに名ばかりの婚約者であるクラリスに勝ったのだ。
 長年の苦労が報われ、ルイーズは幸福感に浸る。
 ルイーズは学園で噂されているようなロランの浮気相手などではない。ふたりの邪魔をしたのはクラリスの方だ。

 ルイーズは幼い頃から父親のモレア侯爵に、『お前はアルヴァレス王国の未来の王太子妃であり、次期王妃だ』と言われて育てられてきた。
 実際に父が王宮に登城するたびに、ルイーズも一緒に連れていかれ、ロランの話し相手を務めていたのだ。
 ルイーズは金髪で青い瞳を持つ第一王子ロランにすぐに夢中になる。
 当時は王妃主催のお茶会に呼ばれたこともあった。
(私は未来の王太子妃。ロランと結婚すれば、この素敵なお城が私のおうちになるのね!)
 迷子になりそうなほど広く、煌びやかな王宮に来るたび、このすべてがいずれ自分のものになるのだと誇らしく感じた。
 ふたりは王宮の西側の噴水がある庭園でよく遊んだ。
 遊び疲れると、あずまやでお茶を飲む。ロランはルイーズの憧れだった。
 ロランからプロポーズされたのは七歳の時だ。
『ルイーズ、私と結婚して王太子妃になってほしい』
『嬉しい! 約束よ、ロラン』
 ルイーズは天にも昇るような気持ちだった。
 王太子妃は結婚すると王都の大通りを馬車でパレードする。ルイーズはそれが楽しみでたまらない。
(私は将来、この国のお妃様になるんだ! ロランとずっと一緒)
 ルイーズはロランにプロポーズされ、得意な気持ちでいっぱいになる。
 ロランと一緒に遊んでいると、時々同い年でロランの異母弟であるテオドールが入ってきた。彼は西の隣国ヴェルタ王国から嫁いできた側室の子で、母親を亡くしたばかりでさみしかったようだ。ルイーズはそれを邪魔だと感じ、ロランのいないところでなにかと理由をつけて、ていよく追い払う。
 幸いテオドールは素直だったので、ルイーズの思い通りに動いてくれた。
 ルイーズはロランとふたりきりで楽しみたかったのだ。
 しかし、幸福な時間はそう長く続くことなく、別れは唐突にやってきた。ルイーズの父が失脚したのだ。
 モレア家は男爵家に降格されてなんの前触れもなく、辺鄙な場所にある領地に閉じ込められてしまった。
 領主館があまりにもみすぼらしくて、ルイーズは王都と王宮が恋しがって泣き叫んだ。
『ロランにお別れの挨拶もできなかったわ。もう一度ロランに会いたい! 私たち、結婚の約束もしたのに』
 これには父も母も困ったようで、ルイーズを慰めようと必死になる。
 おもちゃやドレスでルイーズの気を引いたが、彼女の心が晴れることはなかった。
 ルイーズは十歳まできちんと教育を受けてきたが、男爵領に来てからはなにも手につかず、部屋にこもりロランを思い出しては嘆き悲しんだ。

 いつか時間が解決してくれると母は言っていたが、ルイーズの気持ちは三年が過ぎても、いっこうに晴れない。
 そんな時、久しぶりに参加したごく小規模なお茶会で、ロランが王立学園に入学すると耳にした。
(私が王立学園に入学すれば、またロランに会えるわ!)
 ルイーズの心はロランへの思慕でいっぱいになる。
 父も母も王都は遠いし、試験は難しいからやめておけとルイーズを説得した。
 一度芽生えた希望を潰されたルイーズは、再び悲嘆にくれて部屋にこもるようになる。
(もう、ロランとは一生会えないのかしら、ひと目でいいから会いたい。そしてまたお城へ行って綺麗なドレスを着て、大きな宝石がたくさんついた首飾りをつけて……。もうそんな夢はかなわないのかしら)
 ルイーズはベッドにうずくまる。
 一週間も部屋から出てこないルイーズを見て、とうとう父母は折れた。
 今のルイーズの学力では王立学園へ入学するのはとうてい無理なので、モレア男爵は昔のコネを使い多額のお金を支払い、入学許可を得た。
 その次はクラス分けだ。クラスは成績優秀者から順にAクラスからDクラスに振り分けられる。
 王太子は慣習で、成績優秀者が集まるAクラスに入ることが決まっていたので、ルイーズもAクラスを望んだ。
 だが、ルイーズの成績ではDクラスでもやっとだと言われ、ルイーズは再び泣き暮らす。
 父母はルイーズのためにさらに大金を積み、なんとか体面を保てるギリギリのCクラスに入れた。

 ルイーズが王都に立つ前日、父と母が部屋へ来た。
「ルイーズ、ロラン殿下に婚約者がいるということは知っているだろう?」
「お父様、それはどういう意味ですか? 私はロランの幼馴染です。ロランと私は結婚の約束をしています」
 ルイーズは瞳を潤ませる。
「ルイーズ、それは子供同士の口約束でしょ。王族の結婚は王命で決められの。王命には絶対に逆らえないわ」
 母は不安そうにルイーズを諭す。
「お母様心配しないで。私、頑張るわ。ロランに認められるように一生懸命勉強してAクラスになります」
「ルイーズ、学園に入ったらロラン殿下とお呼びなさい」
「お母様は、私を応援してくれないの?」
 悲しそうに言うルイーズを見て、母は困ったような顔をする。
「ルイーズ、お前がこちらに来てから、ロラン殿下から一度でも手紙が届いたかい?」
 唐突な父の質問に、ルイーズはポカンとなる。
 確かにロランから手紙が届いたことはない。
 ルイーズはいきなり華やかな世界から遠ざけられて、退屈な田舎に追いやられた悲しみで胸がいっぱいになり、ロランに手紙を書こうと考える余裕もなった。
(だからなに? 私とロランが結婚を約束したことに変わりはないわ)
 しかし、ルイーズはそんな感情を心の奥底にしまう。
 これ以上言えば、王都に行かせてもらえないかもしれないと思ったからだ。
「大丈夫、泣いてばかりの生活はおしまいにするわ。ロランと会えるだけで、私は幸せなの」
 こうして十四歳になったルイーズは希望に胸を膨らませ、王立学園に入学するために旅立った。
 だが、入学式の日に、目の当たりにしたのは、いかにも仲がよさそうに寄り添うクラリスとロランの姿だった。
(ロランは私を忘れてしまったの? 結婚の約束までしたのに。私はそれを支えに王都に出てきたのよ)
 その日からルイーズは、忍耐の連続だった。昔は侯爵家だったから、ちやほやされたけれど、今では男爵家なので高位貴族たちにいじめられ、慣れない王都での学園生活に苦労した。何度も理不尽な目にあっては泣き、それでもロランに愛されるために乗り越えてきたのだ。

 そして今日やっとルイーズはロランの愛を手に入れたのだ。
 ロランがルイーズとの打合せにはなかった国外追放まで、クラリスに言い渡してくれた時は本当に嬉しかった。
 だから、今のルイーズの前になんの障害もないはずだ。
 それなのにルイーズは見てしまった。
 去っていくクラリスの後姿に、手を伸ばすロランの姿を。
(私に愛を誓ったのではないの? お願い、クラリスを追いかけないで!)
 そんな思いでルイーズはロランに縋りついた。
 卒業パーティが終わり、王宮に戻る馬車の中で、ロランは終始沈み込んでいる様子だった。
 ルイーズは不安になる。
(どうして? ロランは私を選んでくれたのではないの? なんで嬉しそうじゃないの? クラリスが自ら出ていったのに? まさか、もう後悔している?)

 王宮に戻ると、ほどなくしてロランは仕事があると言って執務室に閉じこもってしまった。
 ロランと話がしたかったので、ルイーズは落胆する。
 ルイーズがお茶とお菓子を前にして、自室で不安な気持ちを抱えていると、部屋にノックの音が響いた。
「ロランかしら!」
 とたんにルイーズは目を輝かせて、椅子から立ち上がる。
 尋ねてきたのは王妃レオノーラの侍従で、レオノーラが王妃専用の執務室で待っているという。
 王子宮に部屋を持って以来、ルイーズは初めてレオノーラから呼び出された。
 レオノーラとは子供の頃、幾度か顔を合わせている。
「大丈夫、きっと私のことを気に入ってくださるわ。だって王妃陛下のことは子供の頃から知っているもの」
 ルイーズは気持ちを切り替え、足取り軽く、部屋を出た。
(ああ、この広くて綺麗で豪華なお城がもうすぐ私の家になるのね)
 ルイーズはそれが楽しみでならなかった。

 ◇◇◇

 ――ベルモンド侯爵邸。午後。

 卒業パーティで一部始終を見ていたジェイコブは喜びをかみしめながら、興奮冷めやらぬ様子で、夕刻にベルモント邸に帰った。
 ジェイコブの同い年の異母姉で、才色兼備で完璧な令嬢クラリスが、ロランに婚約破棄されたからだ。
 意気揚々とサロンのドアを開けると、母のマデラがのんびりとお茶を飲んでいた。
「母さん、大変だ!」
「どうしたの? ジェイコブ、あなた卒業パーティに行っていたんじゃないの? その後はお友達と遊びに行くと言っていたじゃない」
 マデラが不思議そうにジェイコブを見る。
「それどころじゃないんだ。卒業パーティは、大混乱だよ。最高だ! 王太子がクラリスとの婚約を破棄したんだ! ついでに国外追放だってさ」
「なんですって! それは本当なの? なにかの冗談じゃないわよね?」
「本当だよ。俺、もう笑いが止まらなくって、クラリスが国外追放だってさ!」
 マデラは茶色の目を大きく見開いた後、愉悦の表情を浮かべる。
 ジェイコブと同い年の異母姉クラリスは美しく聡明で、ジェイコブにとっては目障りな存在だった。
 もちろん、マデラにとっても。
 そのうえ、クラリスはこのベルモント侯爵家の後継者と決まっている。
 ジェイコブはそのことに納得がいかないでいた。
(たかだが数カ月先に生まれただけで、どうしてあいつが跡取りなんだ? そのうえ王太子妃になるなんて! 欲張りすぎだ)
 父のダリウスは、ジェイコブが欲しいと言えばなんでも買ってくれる。
 それなのに家督だけはくれない。
 理由を尋ねると『クラリスは嫡女だから仕方がない。この国の法でそうなっている』と笑いながら答える。
 そのことがずっと不満だった。
 ジェイコブはクラリスよりもダリウスにかわいがられていて、小遣いをたっぷりもらえる。
 だから余計に、クラリスとこの国の法が恨めしい。
 ジェイコブは、クラリスの婚約破棄と国外追放に狂喜乱舞していた。
「やった! あいつがいなくなれば、俺がこの家を継げる!」
 マデラはがたりと椅子から立ち上がる。
「ジェイコブ、今はそんなこと言っている場合じゃないわ! あの娘は先に屋敷に帰ってきたのでしょ? それならきっと今は部屋にいるはずだわ。私になにも告げずに、うちの財産をコソ泥のように持って出ていくつもりよ! 絶対にそんなことさせない」
「そうだね。母さんの言う通りだ! あいつは欲張りだから、気を付けないといけない」
「ええ、それにぐずぐずしていたら、追い出しやるわ!」
「ははは、クラリスの顔を見ないで済むかと思うとすっきりするよ」
 上機嫌でジェイコブはマデラの後に続いてサロンから出ると、張り切ってクラリスの部屋へと向かう。
「クラリス!」
 マデラが叫んで、クラリスの部屋のドアを勢いよく開けると、クラリスは黒っぽい外套を着てぼうっと立っているところだった。
 その様子にさすがのクラリスも参っているのかと思い、ジェイコブは愉快な気分になり、声を張り上げる。
「おい! クラリス、まさかうちの財産を持って逃げようっていうわけじゃないよな!」
「うちの財産?」
 クラリスが透き通った紫の瞳をジェイコブに向ける。
 ジェイコブはこれが苦手だった。彼女の瞳は無機質なガラス玉のようで、なんの感情も宿していない。
 なにもかも見透かされているようで、時おり恐ろしいと感じる。
 ジェイコブはたじろいでしまうが、マデラは違った。
「ジェイコブから聞いたわ。あなた、婚約破棄された上に、国外追放になったのでしょう! ベルモント家のいい面汚しね」
「ええ、だから出ていくんです」
 口調はしっかりしているものの、いつも神経を張り詰めているラリスが、今はどこか頼りなげに見える。
「この家から、なにかを持ち出すなんて許さないわ!」
「そうですね。今の私に必要なものなどありませんから……」
 クラリスは、ジェイコブとマデラの横を静かに通り抜けて、廊下に出た。
 ジェイコブとマデラは、クラリスの淡白さに鼻白む。
「ちょっ、ちょっとクラリス。あなた、義母である私になにか言うことはないの?」
 クラリスはちらりと振り返り、心底不思議そうに口を開いた。
「なにかとは?」
 あまりにもクラリスが平然として聞くのであっけにとられてしまったが、ジェイコブはクラリスが虚勢を張っているのだと当たりをつけた。
「お前、生意気なんだよ! 母さんに感謝の言葉くらいないのか?」
「感謝、ですか?」
 真顔で聞き返されて、クラリスに馬鹿にされたと思い、ジェイコブはかっとなる。
 ジェイコブがクラリスに殴りかかろうとした時に、執事のエメットと従者が現れた。
 彼らがジェイコブの行く手を塞ぐ。
「おやめください。ジェイコブ様」
 このふたりはジェイコブよりがたいがいいので、彼らをしりぞけることはできない。ジェイコブもマデラもこのエメットが嫌いだ。
 エメットはいつもクラリスを最優先にするし、クラリスに暴力をふるおうとすると現れて、常に邪魔をする。
 再三再四、ダリウスにエメットをやめさせるように頼んだが、『留守を任せられるのはエメットしかいない』と言ってクビにしてくれない。
 ジェイコブとマデラは自分に従わない使用人を随分とやめさせたが、エメットと数人の古参の使用人だけは別だった。
 ジェイコブは威嚇するように歯をむいたが、エメットはまるでジェイコブに注意を払うことなく、クラリスに向き合うと恭(うやうや)しく礼をした。
「お嬢様、出ていかれるのですね」
 エメットの声音には無念さがにじみ出ている。
「ええ、今まで世話になったわね、エメット。後のことはよろしくお願いします」
「お嬢様、今までありがとうございました。どうかお達者で」
 エメットが従者とともに深々とクラリスに頭を下げる。
「あなた方もどうかお元気で」
 ジェイコブの位置からだと、クラリスがどのような表情をしているか見えない。
 それがもどかしくもある。
 やがてクラリスは、ごく自然な足取りでエントランスから出ていく。
 ジェイコブはクラリスが、家でぐずぐずとしていたら追い出すつもりで、帰ってきたのだ。
 思い切り嘲笑ってやるはずだったのに、クラリスは散歩にでも出るような気軽さで、あっさりと立ち去っていく。
 風に揺れる銀髪がきらめく美しい後ろ姿を、ジェイコブは見送っていたが、マデラの金切り声で現実に引き戻される。
「そうだわ。あの娘、うちの馬車を使う気よ! ジェイコブ、あの娘を馬車から引きずり降ろしてらっしゃい」
「わかったよ! 母さん」
 ジェイコブはすぐにエントランスを出て確認した。
 しかし、馬車はいつも通りの場所にある。
 ジェイコブはクラリスがどうやって家から出ていったのかと不思議になり、門番に問いただした。
「お嬢様でしたら、徒歩で出ていかれましたよ」
 門番は、そうあっさりと答える。
「いったいどうなっているんだ、クラリスのやつ!」
 ジェイコブは門から出て通りの雑踏に目を凝らしたが、クラリスの姿はどこにもなかった。
(あいつがみっともなく取り乱す姿が見たかったのに!)
 ジェイコブはギリギリと歯噛みした。

 母親の身分が低いということで、ジェイコブは学園で差別を受けてきた。
 脚光を浴びるのは、いつも美しく聡明で上品な異母姉のクラリスだ。
 子供の頃から受けてきた教育が違うのだから、クラリスが優秀なのは当然である。
 ジェイコブは、十一歳の時にベルモント家に引き取られるまでまともな教育は受けてこなかった。
 だから礼儀作法がなっていないジェイコブは名門王立学園に入っても、平民や貧乏な下級貴族と付き合うことしかできない。
 その中では侯爵家の威光をかさに着て、多少は威張ることができるからだ。
 腹が立つことに、クラリスと仲のいい高位貴族は皆ジェイコブを無視した。
 学園は学問の前では貴賤を問わず、国のために優秀な人材を育てる方針を押し出し、平等をうたっているのにもかかわらず、そこには過去から息づいている身分制度があった。
「あいつは心底性根が腐っているから、高位貴族の仲間に俺の悪口でも言いふらしていたに決まっている。だから、仲間外れにするんだ」
 ジェイコブはマデラにそう訴えるとマデラも同調した。
「そうよ。あの娘はプライドばかり高くて、私たちを見下しているのよ。ほんと腹が立つ」
 しかし、学園では目立つクラリスも家では大人しかった。
 正確には同じ屋敷に住みながら、ジェイコブとは接点があまりない。
 クラリスは屋敷にほとんどいなかったからだ。
 学園では高位貴族しかない入れない生徒会の活動で忙しかったし、王宮に呼ばれてお妃教育を受け、ダリウスがいない時は彼に代わって執務室で書類仕事を代行している。そのため毎日夜が遅く、朝も早い。
 まるでベルモント家の当主気取りのクラリスに、ジェイコブはふつふつと怒りを感じる。
(俺だって教えてもらえれば書類仕事ぐらいできる。ベルモント家を継ぐことができれば、今まで俺を馬鹿にしてきたやつらを見返せるのに!)
 そんな不満をこの家に引き取られた頃から抱いていた。
 積年の恨みはあるものの、ジェイコブの気持ちは間もなく浮上した。
「ははは、これでこの家のものはすべて俺のものだ。早く父さんに報告しよう! 俺がこの家の次期当主だ。俺を馬鹿にしていたやつらに目にもの見せてやる!」
 ジェイコブはそれが楽しみでたまらない。
 ダリウスは一週間帰ってきていなかったが、父が商談で長期間家を空けることは日常茶飯事で、別に気にも留めていなかった。
 しかし、出ていったクラリスを見て、ジェイコブはダリウスの帰りを心待ちにした。

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