どうぞ、貴方がお望みの結末を。~死を偽装した才女と、彼女を搾取した人々の破滅の物語~
◇◇◇

 ベルモンド侯爵邸を出た瞬間、クラリスはフードを目深にかぶり町の雑踏に向かって走った。
 クラリスの銀髪と紫の瞳は目立つので、顔を隠す。
 途中で辻馬車を拾い、夕闇の迫る中、友人の待つブール港へと向かう。
 やがてブールの街に着き馬車から降りると、クラリスは『ヴェル商会』の看板が掲げられている建物に裏口から飛び込んだ。
「クラリス!」
 茶色い髪に茶色の瞳を持つ、リリーが、クラリスを抱きしめる。
 リリーは学園のクラスメイトでクラリスの親友だ。
「クラリス! もしかして、鞄を持ち出すことすら許されなかったの?」
 リリーが驚いたような顔をする。
「違うわ。鞄を持っていったら、家出とばれるかもしれないと思ったの」
「なるほど。それもそうね。学園を出る時のあなたはいかにも儚げなげな様子だったわ。うまく騙せたと思う。ロラン殿下が思わず引き留めようとしていたもの」
「ロラン殿下が引き留めようとしていたの?」
「ええ、でもルイーズがすかさず止めたわ」
 クラリスはその話を聞いてほっとする。
「よかったわ。話し合いが長引いたら、パーティ会場から逃げられなくなる気がしていたの。それに、うまく騙せたかどうかわからなくて、ちょっとドキドキしていたのよ」
「それで、荷物は? 入用のものがあれば、うちで用意するけど」
 リリーの言葉にクラリスはにっこりと笑い、外套の前を開く。
「見てちょうだい。大切なものはコートの下や、スカートの裾、シャツに縫いつけてあるの。あの人たちの行動は織り込み済みだし、ちょうど父も留守でよかった。短い準備期間だったけど、コツコツと用意しておいてよかったわ」
 クラリスは、宝石や現金などを詰め込んだポーチをいくつも身に着けていた。
 リリーは苦い表情を浮かべた。
「クラリスったら、とんでもない苦労をしてきたのね。とても侯爵家のご令嬢の発想とは思えない」
 リリーの言葉にクラリスは小さく笑うと、再び口を開いた。
「ところでリリー、ベルモント邸宛に手紙を書きたいんだけれど。それから」
「大丈夫。あなたのお望みのものは見つかったわ。ほら、手巻き式の懐中時計よ」
 リリーが古い真鍮製の懐中時計を出したのを見て、クラリスは目を輝かせる。
「お祖父様の形見の懐中時計とそっくりだわ! リリー、よく見つけたわね。ありがとう!」
「竜頭が少し大きくて、あなたの懐中時計とは、わずかに差異はあるけど……」
「この程度なら、大丈夫。父は絶対に気付かないわ。私、この懐中時計を手放したくなかったから嬉しい」
 クラリスが真鍮製の懐中時計を手の中にギュッと握る。
「念のためシリアル番号は削っておいた。ヴェル商会の手にかかれば、手に入らないものはないわ。それにしても大貴族なのに質素な懐中時計を使っていたのね」
 リリーが不思議そうな顔をする。
「お祖父様は贅沢を嫌ったの。お祖父様が当主を務めている頃はすべてが穏やかだったわ。お父様の代になって、特にお義母様とジェイコブが来てからは、資産を取り崩している感じ」
「クラリス、お疲れさま。あなた、よくあんな環境で今まで頑張ったわね」
 優しいリリーが涙ぐむ。
「いいえ、学園でリリーが私を支えてくれたから頑張れたのよ。それにエメットや古参の使用人たちも、数名が最後まで残ってくれて、今後の処理をしてくれているの」
「すごいなあ。クラリス、あなたとってもいいオーナーになりそう。ねえ、他国へ渡ったら、私と一緒に商売してみない?」
「それも楽しそうだけれど、しばらくは旅行するかも。これほどうまく事が運んだのは、リリーと亡くなったお祖父様のおかげだわ」
 クラリスはまだ見ぬ異国の地に思いを馳せる。
 ずっと自由に旅することが夢だった。
「私は大したことしてないわ。それにしてもクラリスのために十八歳で受け取れる信託財産を残してくれるなんて、あなたのお祖父様はすごいね。あ! そうそう、これがあなたの乗船券」
「手配してくれて、ありがとう。とても楽しみにしていたの。実は私、ブール港に来たのは今回が初めてなのよ」
「え? 本当に? あなたの家から馬車に乗ればすぐじゃない!」
 リリーの家はブール港の一等地にあり、そこから学園までは馬車で通えるほど十分に近い。当然学園のそばにあるクラリスの家からも近かった。
「私の世界は王宮と学園とベルモント家だけで、とても狭かったの。いつかは広い世界を見てみたいと思っていたわ。外国語を学びながら、この国から飛び立てたらと願っていたの。それがこんな形で実現するなんて不思議な気分。もちろん、乗船するまでは気は抜けないけれど」
 クラリスはあまり浮かれすぎないよう気を引きしめた。
「あなたが幸せそうだから、よかったけれど。それにしても、あの王太子もひどいわね! クラリスとは十一歳の頃からの婚約者なのでしょう? ああ、また思い出して腹が立ってきたわ。プライドばかり高くて、いつも偉そうで許せない! なにが婚約破棄よ! それにクラリスがルイーズをいじめたですって? ばっかじゃないの! あげくにクラリスを国外追放にするなんて、あいつ今に天罰が下るわよ!」
 リリーが、クラリスの身の上を自分のことのように怒ってくれるおかげで、クラリスはさほど腹を立てずに済んでいる。
 それにとうの昔にロランのことはあきらめていた。
 その時々の感情や欲望を優先するロランとは、もともと性格が合わなかったのだ。
 もう少しロランが理性的なら、なにかが変わっていたような気もする。
 それかクラリスがもう少し、ロマンチックでルイーズのように感情豊かで甘え上手だったら、すべてが違っていたかもしれない。
「モレア家が失脚するまでは、ルイーズ様が王太子候補として優勢だったらしいわよ。それに殿下とルイーズ様は幼馴染でお互いに初恋の相手だったんですって。テオドール殿下がから聞いたわ」
「なるほどねえ。初恋を十八歳まで引きずってしまったわけね。巻き込まれる方はとんだとばっちりだわ。栄えある卒業パーティが台無しじゃない。だって、婚約は王命でしょ? あまりにも馬鹿すぎてなに考えているのかわからないわ。クラリスがあんなやつと結婚しないで済んでよかった。しかも相手はあのルイーズだし」
「私も、さっぱりわからないわ。婚約についてなにか言うとは思っていたけど、国外追放までとは……よほど私が嫌いなのね。でもあなたがすぐに乗船券を用意してくれたおかげで助かったわ」
 リリーはほんの少し悲しそうな顔をする。
「クラリスがいなくなるとさみしいわ。それに一等乗船券でなくていいの? 私、すっごく心配なのだけれど?」
「ええ、四等で十分よ」
 クラリスはにっこりと笑って答えた。
「いくら変装するとはいえ、若い女性のひとり旅は危険よ」
「ふふふ、それについては心配ないわ。ねえ、リリー、バスルームを貸してもらっていい?」
 クラリスがいたずらっぽくほほ笑む。
「もちろん。あなたは大切なお客様なのだから、ゆっくりと寛いで。今からあなたの部屋に案内するわね」
 ヴェル家はそこら辺の貴族より、よほど金持ちなので、屋敷をいくつも持っている。ここもそのうちのひとつで、表は店舗になっているが裏は大きな屋敷と繋がっている。いわゆる隠れ家的な場所だ。
 クラリスはその珍しい家の造りにワクワクする。
「わあ、すごいわね。うちの屋敷よりずっと豪華で素敵! 迷子になりそうだわ」
 クラリスは広い廊下に等間隔に並ぶクリスタルのシャンデリアを見上げた。
「クラリスの家だって、王都の一等地にあって大きいじゃない?」
「大きいだけで、建物は古いし、こまめに修復しなければ雨漏りがしたり、床が抜けたりするのよ。屋敷の維持費だけでもお金がかかって大変だったわ。それにうちのシャンデリアはお手入れが行き届かなくて、時々蜘蛛の巣が張ってしまうの。それを取ろうとして、テーブルに椅子を重ねて上ろうとしてたら、慌ててエメットが飛んで来たわ」
 エメットはクラリスをとても大切にしてくれていて、なにかあると呼んでもいないのに、すぐに助けに来てくれた。メイド頭や、従者など古参の使用人たちもそれは同じで、クラリスは彼らに感謝している。
「侯爵家のご令嬢が、ジャンデリアの掃除なんて。そんなことある? ほんと、クラリスって高位貴族のご令嬢らしくなくてびっくりするわ」
「そうかしら?」
 子供の頃から理不尽な生活を強いられてきたので、あまり苦労したという気はしない。
 だた、自由は欲しいと思っていた。クラリスは自由な生活に憧れていたのだ。
 そしてロランとの婚約の継続はもう無理だと感じていた。

 リリーはクラリスをヴェル家の一番いい部屋に案内してくれた。
 クラリスは豪華なバスルームにひとりで入ると、ピカピカに磨かれた大きな鏡の前で、まずは長い髪をバッサリと切り落とす。
 遺書めいた手紙をベルモント邸の父宛に送り、クラリス・ベルモントが跡形もなく消えれば、遺体がなくても死んだことになるだろう。
 
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