断罪を逃れた転生令嬢は辺境で商才を発揮します

18.どんな出迎えよ

夏の終わりに、港町シエナロッソにたどり着くことができた。

海上保険の〈保険市場〉を開設するにあたっては、

ビットから交易船の航海データを提供してもらうなど、またしてもお世話になった。

さっそく、お礼に向かう。

でも、ほんとうに感謝しているのは、


――大丈夫だよぉ~。


と、いつもの軽い調子で、背中を押してくれたことだ。

あのビットの言葉と笑顔がなければ、海上保険だなんて大それたこと、

二の足を踏んだまま一歩も前に進めることは出来なかったかもしれない。


「カーニャ~! いらっしゃ~い! どうする? 結婚する?」

「しないわよ。どんな出迎えよ」


と、ひと笑いさせてもらった後、無事に〈保険市場〉を開設できた報告をする。

といっても、ビットと交わした会話は、


「楽しみにしてるよ? カーニャが思い付いたこと」


というところで終わっている。

つまり、海上保険だの〈保険市場〉だの、詳しいことは何も伝えていなかったのだ。

なので、ビットの協力もあってわたしがやり遂げられたことを、イチから丁寧に説明させてもらった。

ビットの商会の執務室。

ほかに誰もいない、静かな部屋に資料をひろげて、報告と感謝を伝えるのだけど――、

最初は、うんうんと、いつもの軽い調子で応えていたビットが、

だんだんと凛々しい表情になっていく。


――いや……、ふたり切りの密室でその感じ出してくるの、やめてほしいんだけど?


と言ったら負けな気がして、ただドキドキしながら説明を進めていく。

しかも、海上保険の仕組みによほど興味をひかれたのか、わたしの隣に座りなおして、おなじ目線で質問を繰り返してくる。


そして、――近い。


ただでさえドキドキしてるのに、ホントやめてほしい。

資料を指差すビットの腕が、すこしわたしに触れていますわよ?

夏のせいか、ふわっと汗の匂いまでして、


――貴公子って、汗までいい香りがするのね……。


とか、余計なことを考えてしまう。

やがて、ビットはわたしの隣に座ったまま、ソファの背もたれにゆったりと身体を預け、伸びをした。


「いや~、これはスゴイ。すごいねぇ~、カーニャ~」

「そ、そう? ……ありがとう、褒めてくれて」

「う~ん、いや、ほんとにスゴイ」

「……う、うん」


次の瞬間、ガバッと身を起こしたビットは、両手をソファに突いて、わたしの顔をじっと見つめてきた。


――だ、だから、近いってば~。


「ねえ、カーニャ」

「……な、なに?」

「これ、シエナロッソでもやってよ」

「……ん?」

「だから、おなじことをシエナロッソでもやってほしいんだ」

「……ん~?」


ビットの凛々しくて麗しい顔が、あまりにも近くて、あたまの回らないわたしは、

考えるフリをして、そーっと顔を背けた。


「どうかな? ……ダメ?」


と、ビットの美しい顔が、わたしを追い駆けてくる。


――や、やめろやぁ~~~!!


これは、ちゃんと返事するまで離れてくれないヤツだ。

目をギュッとつむり、ビットの言葉を必死で思い返す。


「……は?」

「どう? ダメ? カーニャにやってもらえたら、シエナロッソの海運は大きく変わると思うんだ」

「いや……、いいけど……」


あ、あれをもう一回やるのか……。

うん、きっと儲かる。

儲かるけど……。


「じょ、条件があるわ」

「うんうん、なに?」

「とりあえず話しにくいから、いったん離れて」

「あ、ごめん」


と、ようやく顔を離してくれるビット。

気持ちを立て直し、背筋を伸ばして横に座ったままのビットに顔を向ける。


「……この仕組みは、たくさんの方に参加してもらうことが重要なの。賭ける側――つまり、保険を引き受ける側が競争して、出来るだけ安く引き受けてくれないと、船主側が不利になりすぎるわ」

「うん、そうだね! それは分かったよ」

「だから、ビットがシエナロッソ総督として、しっかり後押しして参加者を募ってくれること。フェルスタイン王国でお父様が果たしてくださった役割を、ビットにお願いしたいの」

「なんだ、そんなこと? やるやる! 総督どころか皇太子としての権威も使っちゃうよ~」

「ただね、ビット」


と、声のトーンをおとし、しっかりとビットの瞳を見詰めた。


「……う、うん」

「権威や権力を振りかざして強制的に参加させても、きっと上手くいかないの」

「う、う~ん……」

「たとえば、かなり丁寧に説明したロッサマーレの船主さんたちでも、最初は余計なコストが増えるって難色を示してたの」

「そっか、なるほど……」


ふたたび凛々しい表情に移り変わってゆくビット。


――うん。変わっていくとこ見るのは、逆に面白いわね。


と、こんどはわたしも落ち着いて受け止められた。


「賭けてくれる側――、つまり保険を引き受けてくれる側も、リスクをよく知った上で参加してもらわないと、あとで大変なことになりかねないわ」

「……それはそうだ」

「それに詐欺の問題もあるの」

「詐欺?」

「つまり、巨額の保険金を受け取るために、わざと船を沈めたり、沈んだと嘘を吐いたり」

「たしかに、あり得ない話じゃないね」

「船長や船員に神への宣誓を義務付けたり、詐欺が発覚した場合の罰則を契約に盛り込んだりしてるけど……、結局は信頼できる人であるかにかかってるわ」

「なるほど……」

「だから、保険をかける船主には財産目録の公開を義務付けていく予定にしてるの」

「そうか……、そこまで」

「逆に保険を引き受けてくれる側も、万一のときに保険金を支払えなかったらダメじゃない?」

「それはそうだ」

「だから、保険の引き受け手側にも、財産目録の提出を要請していくことになると思う」

「うん……」

「でね」

「え? ……まだあるの」

「うん……、財産目録って言っても、財務状況を正確に把握するためには複式簿記の導入が欠かせないの、……よ」

「え、……ふく?」

「ま、それは追々説明していくとして……」

「うん」

「いまはまだ、船主さんも引き受け手さんも〈ピュア〉だから、大丈夫だと思う。けど、整備しないといけないことも多いし……」

「そうだね」

「フェルスタイン王国なら、わたしのホームだし、お父様の助力もあるから、なんとか続けていけると思うの」

「分かった! 僕も総督として覚悟を決めろってことだね?」

「そうなのよ。……どう? なかなかややこしいけど、やれそう?」

「もちろん! ……この仕組みが普及したら帝国の交易はさらに発展させられる。覚悟を決めてやるよ!」

「分かった。……じゃあ、わたしも覚悟を決めるわ」

「商談成立だね」

「うん。よろしくね」

「ふつうは握手を交わすところだけど、ここは僕たちの特別な関係を祝してキスでどう?」

「それ、前も聞いたわ」

「あれ? そうだっけ」

「……通例どおり、握手がいいわね」


と、わたしは、イッとにくまれ笑いを返す。

ビットは腕を伸ばしてくれて、きっと前よりも堅い握手を交わした。


も、もう……。

ふたり切りの密室で、キスとか言うのやめてほしいわ。


顔が赤くなってないか、すこし心配だったけどビットの手が温かくて……、


「……そ、そろそろ、放してくれていいわよ?」

「あれ? そう? 僕はずっとカーニャの手を握っていたいんだけどなぁ~?」

「バカね。シンプルに迷惑よ」


と、笑わせてもらい、わたしたちのパートナー契約が無事に成立した。


   Ψ


自営業だった日本の母に、複式簿記の重要性だけは口を酸っぱくして教え込まれ、

高校を卒業する前に資格を取っていた。

興味をもってくれたビットがせがむので、どうにか教えようとするんだけど、

なにせ転生前の経験だ。

カロリーナとして生きた約19年間、まったく実務の経験を積んでない。

というか、復習する機会さえなかった。

なぜなら、この中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界には普及していないから。

ソニア商会の財務管理だって、リアのやりたいように単式簿記でやってもらってる。

いわゆる家計簿だ。

収支の管理には簡単で使いやすいけど、財務状況の把握には向いてない。

そして、この世界ではこれしかない。

つまり、複式簿記を導入するには、わたしが19年前の記憶をたどって教科書をつくるところからだ。


う~ん、果てしない。


ややこしい話は置いておいてだ――、

ともかく、シエナロッソに〈保険市場〉を開設する準備をはじめる。

ちょうど、ソニア商会もそろそろシエナロッソに支店を置かないと不便だ、という話が出ていたところだったので、

前倒しで支店を設け、そこを〈ソニア保険市場・シエナロッソ〉とすることにした。

もちろん、物件はビットに紹介してもらったので話がはやい。


わたしも一度経験していたし、ビットも本気で取り組んでくれたので、

慌ただしいながら〈ソニア保険市場・シエナロッソ〉は、1ヶ月で開設することが出来た。

権威や権力を振りかざすなとは言ったものの、やはり皇太子殿下肝入りというブランドは圧倒的な威力を発揮した。

そして、わたしはお母様〈ソニア〉の名前が海を渡ったことに、すこし胸を熱くしていた。

くわえて、儲かる。

運営はリアの派遣してくれた、別の副支配人に任せた。

わたしの懐には、寝ていても遊んでいても、つねに手数料が収まっていく。

ロッサマーレに戻ったら、リアとふたりで、ささやかに雄叫びをあげようと思う。


   Ψ


相変わらず小麦色の肌がまぶしいルチアさんが船長をつとめる帆船カーニャ2号に乗って、ロッサマーレに帰ると、

ちょうど入れ違いに出港していたカーニャ号に乗って、リアはシエナロッソに向かったという。

ふたりで恒例の、ささやかな雄叫びはお預けになったけど、

通信手段が実質的に手紙しかない世界観のなかでは、ままあることだ。

とりあえず、ソニア商会本館のわたしの執務室に戻ると、

机の上に、わたし宛てに届いた書簡が置いてあって、封が切ってある。


――おや?


と思い、なかを見るとお父様からの書簡。

そして、別紙でリアのメモ。


〈公爵閣下からのご連絡。お急ぎのようでしたので封を切らせていただきました。入れ違いになるかもしれませんが、お伝えするためシエナロッソに向かいます――、リア〉


そうか、お父様からの書簡が届いたことを知らせるため、侍女の責務としてリアはわざわざ航海に……。

ほんとに、ままならないな。

と、苦笑いしながら、お父様からの書簡をひらく。

……、

……、

……えっ?

……第2王子エリック殿下の結婚式に、公爵家の一員として、わたしも招待されてる!?

ていうか、結婚!?

あの浅薄王子が!?

し、しかも……、


――お相手はゾンダーガウ公爵令嬢セリーナ様!?


って、なんど読み返しても、たしかに書いてある。

〈保険市場〉の開設で、しばらく王都に滞在してたけど、そんな噂は欠片もわたしの耳に届かなかった。

つい最近、わたしがギャフンといわせてしまったゾンダーガウ公爵家の、突然の不可解な動き……。

うわ~。

イヤな予感しかしない。

でも、お父様を通じて正式に招待されてるんなら、欠席するわけにもいかないよな~。

と、まもなく収穫時期を迎えるミカン畑を窓から見上げた。

お父様にもお世話になったばかりだし、行くしかないか――。
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