王命結婚 ~他の女性を一途に愛する旦那様との契約~
幼い頃に芽生えた、淡い想い。
それは今でも心の奥底に根付いている。
いや、奥底なんてものではない。
思いを募らせるほどに膨らんで、今では俺の全てを埋め尽くすほどだ。
それを知りながら──兄上は、俺を伯爵家の令嬢と結婚させた。
王命でさえなければ、こんな婚姻、撥ね除けたものを。
幼い頃、湖で溺れかけた俺の命を救ってくれた少女。
今でも彼女のことを夢に見る。
生涯、忘れることなんて出来ないだろう。
泳ぎが達者なことから、きっと平民なのだろう。
俺が王弟なんて立場になければ、彼女を迎えに行くことが出来たのだろうか。
いや、そもそも長年探し続けても、その少女が誰であるか──手がかりさえ掴めてはいない。
長年結婚を拒んできたが、ついに兄は痺れを切らした。
妻となる女性には申し訳ないが、俺は、初恋の人を諦めることなんて出来ない。
このまま妻と触れ合わず、白い結婚を通したならば、離婚も問題なく認められるだろう。
彼女に、会いたい。
その思いだけで、俺──アレクシス・ロス・ドランはここまで生きてきた。
それは、これから先も変わることはないだろう──そう思っていた。
本来ならば妻と共に出席しなければならない、母上の誕生祝賀会。
俺は近衛騎士団長が辞任したのを良いことに、さっさと警備主任の座に収まることにした。
祝賀会に出席したなら出席したで、どうして妻を連れてこないとか、あれこれ言われるに違いない。
それなら、裏方として動いていた方が気楽だ。
少なくとも、単身で来ていることをとやかく言われることは無いのだから。
当日、夜会の会場で騎士達の配置を確認し、見回りを行う。
ホールからは、騒々しい音楽が漏れ聞こえていた。
どんなに着飾った令嬢でも、俺の心を動かすことは出来ない。
俺の心は、ただ一人──あの時、命を賭けて俺を救ってくれた少女に、囚われたままなのだから。
夜会も、社交界も、興味のない相手に言い寄られる場としては、面倒なことこの上ない。
これから先、俺との関係を求める令嬢達に付き纏われる心配が無くなったと思えば、妻との結婚も悪くないと捉えるべきだろうか。
会場の熱気にあてられた心を癒やす為に、庭園を歩く。
不意に、二階テラス席から、人の気配を感じた。
見上げたその先──月を背景に佇むその姿に、思わず息を呑む。
月光を孕んだ金色の髪。
遠くを見上げるような、翡翠色の瞳。
整った目鼻立ちと、薄桃に染まった頬。
間違いない、あの時の少女だ。
俺を助けてくれた少女が──この夜会に参加している。
ドクリと、心臓が鳴った。
「こんなところに居たのか」
「オスカー」
扉が開いて、男がテラスへと出てくる。
──元近衛騎士団長の、オスカー・クロイドンだ。
騎士団長の座を辞して、女性と夜会に参加しているとは……随分と、良いご身分なことだ。
心の内で、クロイドン令息への嫉妬心が湧き上がる。
「少し踊り疲れてしまって」
「それなら、冷たい物でも貰うか?」
「そうしようかな」
二人は仲睦まじい様子で、賑わうパーティーホールへと消えて行った。
その間、彼女の瞳がこちらに向けられることは──ない。
どうしてだ。
彼女は平民ではなかったのか。
なぜ、この夜会に参加している?
そして、彼女とクロイドン令息との関係は──考えれば考えるほど、腹の底が捩れるようだ。
何もかもが手に付かなくて、俺は、翌日早々兄上の執務室へと押しかけた。
「おお、アレク。新婚生活はどうだ?」
そんな思いを知ってか知らずか、兄上──国王キャメロン・ロス・ドラン陛下は、暢気な声で俺を出迎えた。
「そんなことは、どうでもいい。兄上、昨夜の夜会でクロイドン侯爵令息と一緒に居た女性は誰ですか!?」
「……は?」
兄上の笑顔が、呆気にとられた表情へと変わる。
いきなり何を言い出すんだとでも言いたげだ。
「どうでもいいってことは、ないだろう」
「どうでもいいのです。とにかく、調べてください!!」
兄上はぶつぶつ言いながらも、従者から受け取った昨夜の夜会の招待客リストを目で追っている。
「クロイドン……ああ、オスカーと一緒に来ていたのは、お前の奥方じゃないか」
「……は?」
今度は、こちらが呆気にとられる番だった。
兄上が何を言っているのか、咄嗟に理解が追いつかない。
「だから、夫人だ。知らない訳がないだろう」
知らない訳がない?
いや、知らないとも。
事前の顔合わせはなく、契約は全て書面で済ませ、結婚式の時でさえ、俺は彼女のヴェールを上げることもしなかった。
そんな妻が……初恋の彼女だと?
「兄上、それは本当……ですか?」
「本当も何もない。わざわざ私がお前の初恋の女性を探し出して、強引に縁談を纏めたというのに。少しは感謝してくれても良いんじゃないか?」
感謝するも何もない。
俺は、何も聞かされていない。
兄上にとっては、サプライズのつもりだったのだろうか……彼女と顔を合わせるより先に、俺は書面を送りつけ、契約を纏めてしまった。
相手の素性など、興味がなかった。
兄上が選んだ相手なら誰でも同じだと、ろくに確認もしなかった。
それが、まさか──。
「……一体、どうしたというんだ。ひょっとして……」
ここに来て、兄上もようやく俺の表情に気が付いたのだろう。
眉を顰め、じっとこちらを見つめている。
「知らなかったんだ……」
「知らなかったって、何を?」
兄上の、焦ったような声。
その声が、どこか遠くに聞こえる。
「妻の顔を見る機会もなかったし……」
「見る機会がないって、そりゃ確かに結婚式ではヴェールを上げなかったようだが、その後屋敷で会えば──」
そこまで言って、兄上の声がピタリと止まる。
「まさか……」
兄上の恐る恐ると言った声に、小さく頷く。
「妻とは、屋敷でも──一度も顔を合わせてはおりません」
「何をしているんだああぁぁ!!」
滅多に聞けない、兄上の怒声が響き渡った。
「そもそも、式の前──縁談が持ち上がった時点で、契約を交わしておりますし……」
「契約? どんな契約だ」
そう問われれば、説明せざるを得ない。
兄上がせっかく纏めてくれた縁談だというのに、結婚そのものを嫌がって、妻の顔を見るより先に勝手な契約を進めてしまった──そんな弟を、兄上はどう思うだろうか。
「……ってことは、何か。お前はせっかく初恋の人と夫婦になれたというのに、自分で夫婦間の接触を禁じて、干渉することはせず、お互い夫婦として振る舞わないことを決めてしまったというのか」
「は……」
「そんな馬鹿なことがあるかぁぁぁ」
執務机に突っ伏すようにして頭を抱えた兄上の唇から、盛大なため息が零れた。
いや、ため息ならば、俺の方が吐きたい。
どうしてこうなってしまったんだ。
初恋の女性に焦がれ、それ以外の女性とは触れ合わないようにしようと思っていたはずが……まさかの、妻が当人だったなんて。
彼女は、俺のことをどう思っているのだろう。
礼を欠いた契約書を送りつけ、一度も顔を合わせず、結婚式さえ中座した、夫のことを。
……考えれば考えるほど、目の前が真っ暗に閉ざされた気がした。
それは今でも心の奥底に根付いている。
いや、奥底なんてものではない。
思いを募らせるほどに膨らんで、今では俺の全てを埋め尽くすほどだ。
それを知りながら──兄上は、俺を伯爵家の令嬢と結婚させた。
王命でさえなければ、こんな婚姻、撥ね除けたものを。
幼い頃、湖で溺れかけた俺の命を救ってくれた少女。
今でも彼女のことを夢に見る。
生涯、忘れることなんて出来ないだろう。
泳ぎが達者なことから、きっと平民なのだろう。
俺が王弟なんて立場になければ、彼女を迎えに行くことが出来たのだろうか。
いや、そもそも長年探し続けても、その少女が誰であるか──手がかりさえ掴めてはいない。
長年結婚を拒んできたが、ついに兄は痺れを切らした。
妻となる女性には申し訳ないが、俺は、初恋の人を諦めることなんて出来ない。
このまま妻と触れ合わず、白い結婚を通したならば、離婚も問題なく認められるだろう。
彼女に、会いたい。
その思いだけで、俺──アレクシス・ロス・ドランはここまで生きてきた。
それは、これから先も変わることはないだろう──そう思っていた。
本来ならば妻と共に出席しなければならない、母上の誕生祝賀会。
俺は近衛騎士団長が辞任したのを良いことに、さっさと警備主任の座に収まることにした。
祝賀会に出席したなら出席したで、どうして妻を連れてこないとか、あれこれ言われるに違いない。
それなら、裏方として動いていた方が気楽だ。
少なくとも、単身で来ていることをとやかく言われることは無いのだから。
当日、夜会の会場で騎士達の配置を確認し、見回りを行う。
ホールからは、騒々しい音楽が漏れ聞こえていた。
どんなに着飾った令嬢でも、俺の心を動かすことは出来ない。
俺の心は、ただ一人──あの時、命を賭けて俺を救ってくれた少女に、囚われたままなのだから。
夜会も、社交界も、興味のない相手に言い寄られる場としては、面倒なことこの上ない。
これから先、俺との関係を求める令嬢達に付き纏われる心配が無くなったと思えば、妻との結婚も悪くないと捉えるべきだろうか。
会場の熱気にあてられた心を癒やす為に、庭園を歩く。
不意に、二階テラス席から、人の気配を感じた。
見上げたその先──月を背景に佇むその姿に、思わず息を呑む。
月光を孕んだ金色の髪。
遠くを見上げるような、翡翠色の瞳。
整った目鼻立ちと、薄桃に染まった頬。
間違いない、あの時の少女だ。
俺を助けてくれた少女が──この夜会に参加している。
ドクリと、心臓が鳴った。
「こんなところに居たのか」
「オスカー」
扉が開いて、男がテラスへと出てくる。
──元近衛騎士団長の、オスカー・クロイドンだ。
騎士団長の座を辞して、女性と夜会に参加しているとは……随分と、良いご身分なことだ。
心の内で、クロイドン令息への嫉妬心が湧き上がる。
「少し踊り疲れてしまって」
「それなら、冷たい物でも貰うか?」
「そうしようかな」
二人は仲睦まじい様子で、賑わうパーティーホールへと消えて行った。
その間、彼女の瞳がこちらに向けられることは──ない。
どうしてだ。
彼女は平民ではなかったのか。
なぜ、この夜会に参加している?
そして、彼女とクロイドン令息との関係は──考えれば考えるほど、腹の底が捩れるようだ。
何もかもが手に付かなくて、俺は、翌日早々兄上の執務室へと押しかけた。
「おお、アレク。新婚生活はどうだ?」
そんな思いを知ってか知らずか、兄上──国王キャメロン・ロス・ドラン陛下は、暢気な声で俺を出迎えた。
「そんなことは、どうでもいい。兄上、昨夜の夜会でクロイドン侯爵令息と一緒に居た女性は誰ですか!?」
「……は?」
兄上の笑顔が、呆気にとられた表情へと変わる。
いきなり何を言い出すんだとでも言いたげだ。
「どうでもいいってことは、ないだろう」
「どうでもいいのです。とにかく、調べてください!!」
兄上はぶつぶつ言いながらも、従者から受け取った昨夜の夜会の招待客リストを目で追っている。
「クロイドン……ああ、オスカーと一緒に来ていたのは、お前の奥方じゃないか」
「……は?」
今度は、こちらが呆気にとられる番だった。
兄上が何を言っているのか、咄嗟に理解が追いつかない。
「だから、夫人だ。知らない訳がないだろう」
知らない訳がない?
いや、知らないとも。
事前の顔合わせはなく、契約は全て書面で済ませ、結婚式の時でさえ、俺は彼女のヴェールを上げることもしなかった。
そんな妻が……初恋の彼女だと?
「兄上、それは本当……ですか?」
「本当も何もない。わざわざ私がお前の初恋の女性を探し出して、強引に縁談を纏めたというのに。少しは感謝してくれても良いんじゃないか?」
感謝するも何もない。
俺は、何も聞かされていない。
兄上にとっては、サプライズのつもりだったのだろうか……彼女と顔を合わせるより先に、俺は書面を送りつけ、契約を纏めてしまった。
相手の素性など、興味がなかった。
兄上が選んだ相手なら誰でも同じだと、ろくに確認もしなかった。
それが、まさか──。
「……一体、どうしたというんだ。ひょっとして……」
ここに来て、兄上もようやく俺の表情に気が付いたのだろう。
眉を顰め、じっとこちらを見つめている。
「知らなかったんだ……」
「知らなかったって、何を?」
兄上の、焦ったような声。
その声が、どこか遠くに聞こえる。
「妻の顔を見る機会もなかったし……」
「見る機会がないって、そりゃ確かに結婚式ではヴェールを上げなかったようだが、その後屋敷で会えば──」
そこまで言って、兄上の声がピタリと止まる。
「まさか……」
兄上の恐る恐ると言った声に、小さく頷く。
「妻とは、屋敷でも──一度も顔を合わせてはおりません」
「何をしているんだああぁぁ!!」
滅多に聞けない、兄上の怒声が響き渡った。
「そもそも、式の前──縁談が持ち上がった時点で、契約を交わしておりますし……」
「契約? どんな契約だ」
そう問われれば、説明せざるを得ない。
兄上がせっかく纏めてくれた縁談だというのに、結婚そのものを嫌がって、妻の顔を見るより先に勝手な契約を進めてしまった──そんな弟を、兄上はどう思うだろうか。
「……ってことは、何か。お前はせっかく初恋の人と夫婦になれたというのに、自分で夫婦間の接触を禁じて、干渉することはせず、お互い夫婦として振る舞わないことを決めてしまったというのか」
「は……」
「そんな馬鹿なことがあるかぁぁぁ」
執務机に突っ伏すようにして頭を抱えた兄上の唇から、盛大なため息が零れた。
いや、ため息ならば、俺の方が吐きたい。
どうしてこうなってしまったんだ。
初恋の女性に焦がれ、それ以外の女性とは触れ合わないようにしようと思っていたはずが……まさかの、妻が当人だったなんて。
彼女は、俺のことをどう思っているのだろう。
礼を欠いた契約書を送りつけ、一度も顔を合わせず、結婚式さえ中座した、夫のことを。
……考えれば考えるほど、目の前が真っ暗に閉ざされた気がした。