婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~
ランチタイムの店内は、いつもより騒がしかった。
平日限定のセットを前に、穂乃果はパスタをフォークでくるくる回しながらニヤニヤとこちらを見てくる。
「で?」
その一言に、私の肩が小さく跳ねた。
「……何?」
「何じゃないでしょう? 土曜のデート! どうだったの?」
あえて強調された言い方に、私は視線をそらした。
研修で本社に行くからランチしようと穂乃果から連絡があった時から察してはいたが、真正面から聞かれると気まずい。
「普通だよ、普通」
「はい嘘」
即答!?
目を丸くすると、穂乃果がどこか勝ち誇った顔をする。
「だって、服を選ぶときにあんなに悩んでいた人が、普通で終わるわけないでしょう」
「それは……」
穂乃果は鋭い。言葉に詰まった私を見て、穂乃果は満足そうに頷く。
「午後からデートだったのよね。 夜景は? 見た? 撮った?」
「……見たし撮った」
穂乃果はフォークを置いて、テーブルに手の平をポンっとだした。
「見たい」
どうやらスマホの写真を出せと言うことらしい。
「それはちょっと……」
「なんで?」
「あ〜…、写り? が悪いから……」
ゴニョゴニョと言い淀む私に怪訝な顔をする。そしてじっと私を見つめてくる。
「相手は何歳?」
「4つ上……だったかな」
「職業は?」
「会社員」
「どこの」
「……あ~、どこだったかな」
目を逸らす私に、穂乃果が身を乗り出した。
「さっきから、何よその反応。まさか! 言えないようなところ!? ヤミ金とかマルチ的な会社とか! やばいんじゃないの!?」
「違う違う! 同じ会社で……、あっ……」
しまったと口を抑えるがもう遅い。一瞬の沈黙。そして、穂乃果の目がスッと細くなった。
「――待って、どういうこと」
私は軽く頭を抑えた。こうなったら穂乃果は止められない。
「同じ会社!? 部署は?」
「……違う」
「役職は?」
「……上」
穂乃果は口を開いたまま言葉に詰まる。
「え……、上司?」
私はもう観念したとばかりに頷いた。そもそも、この鋭い穂乃果に黙っていること自体不可能なのだ。
「誰」
「……」
「誰なの」
「……藤宮専務」
一拍置いて、穂乃果の一言が店内に響いた。
「……はぁ!?」
店内の視線が一瞬集まる。私は慌てて穂乃果の口を塞いだ。
「しー、声大きい!」
目が飛び出さんばかりに見開かれた穂乃果は、慌てて声を落とした。
「いや、なんでなんで!? 藤宮専務ってあの、藤宮綾斗!? うちの御曹司!? その人とデートしたってこと!?」
穂乃果が驚くのも無理はない。いまだに私だって信じられない思いでいるのだから。
穂乃果はひそひそ話ながらも、目は爛々としており興奮していた。
「成り行きで……」
「成り行きで婚活パーティー行って、成り行きで藤宮専務を捕まえて、成り行きでデート!?」
「言い方!」
「じゃあ、言い分をどうぞ」
私は肩を落とし、穂乃果に全てを話すことにした。
「実は……、婚約者のフリをしてもらうことになったの。デートはそのための偽装工作」
「婚約者?」
「ほら、前に話したでしょう? 来月実家に婚約者を連れ帰る約束をしたって」
「そう言えば言ってたわね。え、まさかそれを藤宮専務に頼んだってこと?」
「まぁ、1日だけだけど。結果的にそういうことかな」
穂乃果は額に手を当てて、しばらく無言で私を見つめた。
何やってるんだって怒られるかな。釣り合わないって言われるのかな。無謀って言われるかも。
そう思っていたら、意外な返事が返ってきた。
「……ねぇ、茉白。楽しかった? デート」
「え? うん」
「楽しかった……だけ?」
その一言に言葉が出なかった。
楽しかった。
たくさん話して、びっくりするくらい笑って。プライベートの綾斗さんは、仕事の時とは違って穏やかで柔らかい。決して仕事では見られない素顔。だから落ち着かなかった。胸がソワソワした。
それに……。
「帰りたくなかった?」
「どうして……」
「顔に書いてあるよ」
反社的にパッと顔を触ると、穂乃果は苦笑した。
「偽装工作のための演技でそんな顔しないでしょ、普通」
そして穂乃果はゆっくりと、でも優しく言った。
「偽装でも、本気でも人の気持ちだけは誤魔化せないよ」
「別に私は……」
何言ってるの、穂乃果。そんなの、まるで私が……。
戸惑いを隠せないでいると、穂乃果はスマホのカレンダーを開いた。
「帰省っていつ?」
「来月。もうあと2週間後だ」
カレンダーで視覚的に見ると、もうすぐだと実感する。
「親御さんはなんて?」
「すっごく喜んでいた」
昨日、親に連絡をしたら大喜びして時間を取ってくれた。
綾斗さんのスケジュール上、仕方がないとはいえ急だったから断られるかとも思ったけど、やはりお客さんはそこまで多くはないらしい。
穂乃果は軽く笑って、フォークを持ち直した。
「じゃぁ、もう覚悟しないとね。もう”巻き戻せる嘘”じゃなくなってる」
「……そうだね」
私は穂乃果の一言で、後戻りはできないのだと自覚した。