婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~
朝の温泉街は静かだった。
観光客がまばらな商店街を私と綾斗さんは並んで歩く。綾斗さんは時折立ち止まって周囲を見渡していた。
古い旅館、土産物屋、小さな神社、川沿いの遊歩道。それらに目を移す綾斗さんを見るたびに、胸がチクンと痛む。
ほら、仕事の時の綾斗さんと同じ顔になっている。
さり気なく、でも確実に……。建物の配置や土地の広さ、人の流れ……。綾斗さんの視線がそれらをなぞっているのだ。
やっぱり、視察だったんだね。ああ、分かっていたくせに実際目の前でそれを見ると胸の奥がじわじわと冷えていく。
今回ここへ来たのは、本当に私を心配して着いてきてくれたからなのかもしれない。でも、仕事もついでに出来ている。それは事実なんでしょう?
遊歩道を抜けて川沿いに出ると綾斗さんが足を止めた。川の向こうに色づき始めた山が見える。綾斗さんはしばらく眺めてから静かに口を開いた。
「良い景色だな」
「……そうですね」
「良い町だ」
綾斗さんの言葉に振り返る。綾斗さんは私を見てから一瞬軽く目を伏せ、再び顔をあげた時には「藤宮専務」の顔つきになっていた。
「この町がホテル建設の候補地に挙がっていることは事実だ」
「はい……。視察、されていましたよね」
「真田から聞いていたんだっけ」
「……はい」
「そうか、それで最近少しおかしかったんだな」
納得したように頷く。綾斗さんは少し間を置き、何か言おうとしていたが私は聞くのが怖くて先に口を開いた。
「最初から視察したいって言ってくれれば良かったのに」
笑顔を作って、何でもない事のように声を絞り出す。
「部下の実家が候補地にあるなんてラッキーだ、婚約者のフリをするから視察させてくれ。あわよくば、建設予定地に決定した場合、住民の説得に尽力してくれって」
「いや、それは……」
「私に優しくしていたのも、候補地が地元の人間だったから……ですよね」
「違う。茉白、それは……」
綾斗さんの言葉を遮るように私は首を横に振った。
「ごめんなさい。言い分は聞けません。あなたとの思い出を大切にしたいから」
「茉白……」
「もしこの土地がホテル建設予定地に決定したとしても、申し訳ないですがお力を貸すことはできません。ホテルが建設されたら商店街の人たちはまだしも、父や旅館を経営している組合の人たちは大赤字です。ただでさえ今でもギリギリなのに……。私にとって住みにくい土地ではあるけど、父たちを路頭に迷わせるわけにはいきません」
「……それはわかっている」
綾斗さんはため息をついて、軽く目を瞑って下を見た。
「黙っていたことは謝る。ただ俺は……、茉白が候補地の人間だったから優しくしたわけではない」
「でもメリットはあったんじゃないですか?」
「メリット?」
「父や商店街のおばさんとか……、この土地の人たちと繋がりは出来た。今後に有利ですよね」
私の言葉に綾斗さんが言葉に詰まった。
意地悪な言い方をしているのわかっている。でも、今言わないと、ずっとモヤモヤしたままは嫌だった。
綾斗さんの口からきく前に、私が図星を突いたほうがまだ心が保たれる気がしたのだ。
「あ、私に悪いと思わなくていいんですよ。あなたは我が社の専務です。これくらい考えるのは当然です」
綾斗さんは何かを言おうとして口を閉じた。
言い分を考えているのかも。でも、それはあもう必要ない。
「綾斗さん。これで……、もう婚約者のフリは終わりにしましょう」
ニコッと笑みを作って綾斗さんを見上げる。綾斗さんは微かに不快そうに眉を寄せた。
「予想外でしたが二度目の帰省も終わりました。父も快方に向かっていますし、もう十分です。あとは私が上手くやります」
「茉白」
「本当にお世話になりました。仕事でもプライベートでもご迷惑をおかけしてしまってすみません。今までありがとうございました」
深々と頭を下げると、少しだけ戸惑ったような声が聞こえる。
「迷惑だなんて……」
「綾斗さん」
私はあえて綾斗さんの言葉を遮った。
そうしなければ続きを聞いてしまう。きっと続きを聞いたらまた都合よく期待をしてしまう。
そうしてまた勝手に傷つくの。そんなのバカみたいでしょう。辛くなるだけ。
だから……。
「明日からはただの上司と部下として、よろしくお願い致します。藤宮専務」
笑顔を作った私のきっぱりとした線引きに、綾斗さんはほんの一瞬目を伏せて視線をそらした。
「ただの上司と部下……か」
「はい。船上パーティー以前の関係です」
「……わかった」
低い声が静かに落ちてきた。
言い分は聞きたくない。これでいい。
全て元通りだ。
観光客がまばらな商店街を私と綾斗さんは並んで歩く。綾斗さんは時折立ち止まって周囲を見渡していた。
古い旅館、土産物屋、小さな神社、川沿いの遊歩道。それらに目を移す綾斗さんを見るたびに、胸がチクンと痛む。
ほら、仕事の時の綾斗さんと同じ顔になっている。
さり気なく、でも確実に……。建物の配置や土地の広さ、人の流れ……。綾斗さんの視線がそれらをなぞっているのだ。
やっぱり、視察だったんだね。ああ、分かっていたくせに実際目の前でそれを見ると胸の奥がじわじわと冷えていく。
今回ここへ来たのは、本当に私を心配して着いてきてくれたからなのかもしれない。でも、仕事もついでに出来ている。それは事実なんでしょう?
遊歩道を抜けて川沿いに出ると綾斗さんが足を止めた。川の向こうに色づき始めた山が見える。綾斗さんはしばらく眺めてから静かに口を開いた。
「良い景色だな」
「……そうですね」
「良い町だ」
綾斗さんの言葉に振り返る。綾斗さんは私を見てから一瞬軽く目を伏せ、再び顔をあげた時には「藤宮専務」の顔つきになっていた。
「この町がホテル建設の候補地に挙がっていることは事実だ」
「はい……。視察、されていましたよね」
「真田から聞いていたんだっけ」
「……はい」
「そうか、それで最近少しおかしかったんだな」
納得したように頷く。綾斗さんは少し間を置き、何か言おうとしていたが私は聞くのが怖くて先に口を開いた。
「最初から視察したいって言ってくれれば良かったのに」
笑顔を作って、何でもない事のように声を絞り出す。
「部下の実家が候補地にあるなんてラッキーだ、婚約者のフリをするから視察させてくれ。あわよくば、建設予定地に決定した場合、住民の説得に尽力してくれって」
「いや、それは……」
「私に優しくしていたのも、候補地が地元の人間だったから……ですよね」
「違う。茉白、それは……」
綾斗さんの言葉を遮るように私は首を横に振った。
「ごめんなさい。言い分は聞けません。あなたとの思い出を大切にしたいから」
「茉白……」
「もしこの土地がホテル建設予定地に決定したとしても、申し訳ないですがお力を貸すことはできません。ホテルが建設されたら商店街の人たちはまだしも、父や旅館を経営している組合の人たちは大赤字です。ただでさえ今でもギリギリなのに……。私にとって住みにくい土地ではあるけど、父たちを路頭に迷わせるわけにはいきません」
「……それはわかっている」
綾斗さんはため息をついて、軽く目を瞑って下を見た。
「黙っていたことは謝る。ただ俺は……、茉白が候補地の人間だったから優しくしたわけではない」
「でもメリットはあったんじゃないですか?」
「メリット?」
「父や商店街のおばさんとか……、この土地の人たちと繋がりは出来た。今後に有利ですよね」
私の言葉に綾斗さんが言葉に詰まった。
意地悪な言い方をしているのわかっている。でも、今言わないと、ずっとモヤモヤしたままは嫌だった。
綾斗さんの口からきく前に、私が図星を突いたほうがまだ心が保たれる気がしたのだ。
「あ、私に悪いと思わなくていいんですよ。あなたは我が社の専務です。これくらい考えるのは当然です」
綾斗さんは何かを言おうとして口を閉じた。
言い分を考えているのかも。でも、それはあもう必要ない。
「綾斗さん。これで……、もう婚約者のフリは終わりにしましょう」
ニコッと笑みを作って綾斗さんを見上げる。綾斗さんは微かに不快そうに眉を寄せた。
「予想外でしたが二度目の帰省も終わりました。父も快方に向かっていますし、もう十分です。あとは私が上手くやります」
「茉白」
「本当にお世話になりました。仕事でもプライベートでもご迷惑をおかけしてしまってすみません。今までありがとうございました」
深々と頭を下げると、少しだけ戸惑ったような声が聞こえる。
「迷惑だなんて……」
「綾斗さん」
私はあえて綾斗さんの言葉を遮った。
そうしなければ続きを聞いてしまう。きっと続きを聞いたらまた都合よく期待をしてしまう。
そうしてまた勝手に傷つくの。そんなのバカみたいでしょう。辛くなるだけ。
だから……。
「明日からはただの上司と部下として、よろしくお願い致します。藤宮専務」
笑顔を作った私のきっぱりとした線引きに、綾斗さんはほんの一瞬目を伏せて視線をそらした。
「ただの上司と部下……か」
「はい。船上パーティー以前の関係です」
「……わかった」
低い声が静かに落ちてきた。
言い分は聞きたくない。これでいい。
全て元通りだ。