婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~

金曜日の夜。

仕事が終わった私は指定された場所へと向かった。

場所は会社からほど近い藤宮グループが経営するHotel FORTUNA(ホテルフォルトゥーナ)である。
政界や海外の要人らも宿泊しており、ホテル内にあるブライダル施設、Grand FIORE(グラン・フィオーレ)は、結婚式をあげたい式場ランキングで常に上位に入るほど人気である。
私も仕事で何度も足を運んだ。

藤宮専務からはホテル内のレストランを指定された。
広報だからそのレストランに入ったことはある。でも格式高い場所でもあるからプライベートでは当然来たことがない。

ちょっとドキドキするな……。

緊張しながら中に入ると、入口の係の人が奥の部屋へと案内してくれた。ウェイターの声かけに中から返事がある。

「どうぞ」
「失礼致します」

個室の扉を開けると、藤宮専務が座って待っていてくれた。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いや、俺も今来たところだ」

後ろで扉が閉まった瞬間、外の喧騒が嘘のように消えた。大きな窓の向こうは、宝石みたいな綺麗な夜景が広がっている。

「わぁ……、凄いですね……」

思わず漏れた声に藤宮専務が小さく笑った。

「ここは静かだから話をするには向いている」

話……。そうだ、これはあくまで打ち合わせ。

そう言い聞かせないと勘違いしてしまいそうなシチュエーションである。窓の外の夜景が綺麗すぎて、余計に始末が悪い。

「とりあえず食事にしよう。話はそれからだ」
「あ、はい。いただきます」

席に着いてから出てきたコース料理は、見た目も味も上品だった。

けれど、正直あまり覚えていない。ナイフとフォークの音、グラスに注がれる水の音……。それだけがやけに大きく聞こえる。

ああ、もう……。

緊張して味わうどころではない。
ガチガチになりながらも食べ進めていると、不意に藤宮専務が声をかけてきた。

「どうした? 口に合わなかったか?」
「いいえ! 凄く美味しいです。ただ、こういう場に慣れていないので緊張してしまって……」
「無理しなくていい。そうだな……、親に話せるエピソードの一つだとでも思ってくれ」
「あの、専務。やはり、こんなお願い図々しかったのではないでしょうか?」

フォークを置いて、膝の上で手をギュッと握る。

「どういうことだ?」
「一日とはいえ、さすがに婚約者のフリは……」
「何度も言わせるな。これはお礼だ。それとも、君は俺が婚約者だと不満なのか?」

不快そうにするわけでもなく、淡々と聞いてくる専務に首を振る。

「とんでもない! むしろ私なんかじゃ、専務に釣り合わないんじゃないかと……」

言葉尻が小さくなると、藤宮専務はフッと笑った。

「その言葉、そのまま返すぞ」

え……? どういう意味……?

意味を飲み込もうとした私に、藤宮専務はもう次の話題を口にしていた。

「とりあえず、帰省日を決めよう」
「あ、はい」

結局、あの言葉が何を指していたのかわからないまま話が進んでいく。でも、なんだかずっと胸に引っかかっていた。

真剣な表情に切り替わった藤宮専務はスマホを取り出してスケジュール確認を始めた。
フワフワした気持ちが一気に現実的な物へと変わる。藤宮専務のスケジュールはいっぱいだ。その中から帰省できる日を決めていく。

「帰省日はここだな。ご両親に確認しておいてくれ」
「わかりました。たぶん、うちの親は大丈夫だと思います」

帰省日まで約2週間。時期的には紅葉前のシーズンオフ。毎年お客さんは閑散としているので実家もそこまで忙しくはないはずだ。

「茉白」
「は、はい」

突然名前を呼ばれてドキッとする。挙動不審になる私に、藤宮専務はフッと笑った。

「婚約者の俺に緊張するな。不自然だろ」
「うっ……、仰る通りです……」

緊張するなという方が難しいが、確かにこのまま実家に行ったらアウトだ。
実家の両親は鋭い。少しでも違和感があれば見抜かれるだろう。
すると、綾斗さんが「よし」と呟いた。

「デートしようか」
「えっ、デートですか!?」
「さすがにこのままだとあれこれ突っ込まれる。設定のすり合わせも必要だし、思い出作りをしておかないとおかしいだろう?」
「そうですね。私と藤宮専務の話が食い違ってもいけませんし」

実家に行けばきっとあれこれ質問攻めにあう。

初デートは? 写真は? どんな風に出会った? プロポーズの言葉は?

……これは。

――デートが必要だ。

藤宮専務はスケジュールを見たまま難しい顔をしている。そしてニッと口角を上げた。

「明日は空いているか? デートしよう」

急遽、初デートが決まった。



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