部長と私の秘め事
長い一月六日の終わり
尊さんがご飯の話をしたのが十七時半ぐらい、お店は十九時の予約だった。
ホテル内にある和食レストランに向かうと、尊さんは日本酒のスパークリング、私は梅酒を頼んだ。
「これで一区切りついたから、ちょっと景気よく食うぞ」
「はい!」
ご飯はカニのコースらしく、私は部屋を出てレストランに着くまでしっかり食い気スイッチを入れておいた。
飲み物が運ばれて乾杯したあと、私たちは先付の毛蟹を黙々とカニスプーンでほじる。
「明日からどうします?」
「成人の日が絡む連休だし、のんびりする」
「うちの会社は仕事始めが九日で楽~。そこはありがたいです」
そう言った私は、ほじり溜めをしたカニの身をお箸で摘まみ、ちょんちょんとカニ酢につけて口に入れる。うまい。
私はカニを食べながらも、これから会社が大混乱になっていく事を予想して、微妙な気持ちになった。
もしも尊さんが言っていたように、亘さんが辞任して、風磨さんが社長になったらどうなるのかな……。
尊さんが部長止まりになっていたのは怜香さんの圧力があったからだ。
風磨さんはむしろ尊さんに、もっと高いポジションになってほしいと思っている。
尊さんが亘さんと親子関係にあるって周知されたら、彼を見る皆の目が変わってくるはずだ。
加えて、仮に彼が部長より上の役職になったら大騒ぎになるだろう。
(彼の事を狙ってたお綺麗どころの先輩、どうなるかな……)
私は考えながら、ひたすらカニをほじり続ける。
「はー……、やっぱりカニって無言になりますね」
ようやくカニを食べ終えたあと、色とりどりの綺麗な小皿に、一口で食べられる料理が載せられた旬菜が出され、壬生菜のお浸しや海老の芝煮、小さな寒鯖の炙り寿司などを、じっくり味わいながら食べていく。
「もし〝御曹司〟だと知った、先輩や他部署の人が迫ってきたらどうします?」
「そんなん相手にする訳ねぇだろが。くだらねぇ事考えるな」
尊さんは心底呆れた顔をし、綺麗な箸使いで茶振りなまこを食べる。
茶振りなまことは、なまこをお茶で湯通しし、臭みを消す下ごしらえをした料理だ。
「…………私がいるからフッちゃいます?」
ニヤニヤして尋ねると、尊さんはお箸を止めて、めっちゃ真顔で私を見てきた。
「な、何ですか、その顔は。『浮かれてる』って呆れてます? いいじゃないですか、ずっと前から両思いなんだし、今は運命のラブラブ恋人ですし……」
焦って言い訳すると、彼はフハッと笑った。
「……お前、可愛いな。アホの子みたいで可愛い」
「アホの子は余計です!」
私はプリプリ怒るふりをしながら、思いっきりニヤついていた。
**
翌朝、私はうなりながらボーッとし、目を閉じたまま手探りをして尊さんを探す。
「んー……、んうぅぅうう……」
指先に彼の体を感じた私は、うなりながら尊さんに抱きつく。
「お前、寝起きはムニャムニャ言ってて、寝ぼけた猫みたいだな」
尊さんはもう起きていて、ベッドのヘッドボードにもたれかかってスマホを見ていた。
「完全に目が覚めるまで、食いたいもんの事でも考えとけ」
「んー……」
そう言われて、私はぽやぽやとしながらご飯について考え始めた。
ご飯の前に、私たちは朝のお風呂にゆったりと入る。なんとも贅沢だ。
「またスイートルーム泊まっちゃいましたね」
「いや、これは親父に払わせる」
きっぱり言うものだから、つい笑ってしまった。
私は背後から抱き締めてくる尊さんの腕を抱き、微笑んで言う。
「色々あっても、亘さんの事を〝親父〟って呼ぶんですね」
「んー……」
そう言うと、彼は少しの間考え、やがて溜め息をついて口を開く。
「あいつに実父としての愛情は求めてないし、頼りにしたいとも思わない。父親という役割を持つ存在、立場上の血縁、社長……、そういう感覚かな」
尊さんの言いたい事はなんとなく分かる気がした。
「縁を切るまでもないけど、繋がりはある?」
「何だろうな。あいつがいなくても生きていけるし、怜香の力が及ばなくなった今、篠宮ホールディングスを出ても誰も俺を邪魔しないだろう。……父親としては失格だし、一人の男としても最低だ。……けど、あいつがいたから俺とあかりが生まれた」
思考を辿るように言った尊さんは、自嘲する。
「世の中、毒親に愛想を尽かして、戸籍を抜いて本当に他人になる奴もいる。俺だってあいつと怜香が両親ならいらねぇよ。……でも」
そこまで言い、彼は息を吸ってしばし止める。
「……俺の心の底にいる母が『人として愛情深く、正しい道を歩め』と言っている。どんなにだらしねぇ最低な父親でも、母は縁を切って捨てる事を望んでいないと思う」
そのあと、尊さんは溜め息混じりに言った。
「……妹は〝おじさん〟に懐いてた。〝おじさん〟の事を好きだと言って、『いつか四人で住みたい』と望んでた。あんな奴でも妹にとっては〝父親〟なんだ。……妹が慕っていたなら、あいつと完全に縁を切って憎む訳にいかない」
私は尊さんの気持ちを汲み、彼の腕をギュッと抱き締める。
すると彼は「ははっ」と笑った。
「……マザコン、シスコンかなぁ……」
「ううん、そんな事ない。……尊さんは理性を失うギリギリのラインで生きてきました。客観的に見ても、いつ非行に走り、自暴自棄になってもおかしくなかった。そんな中、あなたの理性を守り続けたのは、お母さんとあかりさんとの優しい思い出です。確かに、見方によっては縛られていると言えるかもしれません。でも私は、尊さんが人らしく生きてきた事を誇りに思います」
「……サンキュ」
尊さんは小さく笑ってお礼を言ったあと、のしっと私の肩に顎を乗せる。
「これからはお前のために生きていく」
彼の言葉を聞いて、私はジワッと頬を染めた。
「初めて誰かのために生きる事ができるな……。すげぇ幸せな事だ。一人で金を持っていても、愛する人がいないと空しいから。……だから朱里も、幸せになる覚悟をしてくれよ?」
耳元で囁いた尊さんはクスッと笑い、私の頬にキスをしてきた。
ホテル内にある和食レストランに向かうと、尊さんは日本酒のスパークリング、私は梅酒を頼んだ。
「これで一区切りついたから、ちょっと景気よく食うぞ」
「はい!」
ご飯はカニのコースらしく、私は部屋を出てレストランに着くまでしっかり食い気スイッチを入れておいた。
飲み物が運ばれて乾杯したあと、私たちは先付の毛蟹を黙々とカニスプーンでほじる。
「明日からどうします?」
「成人の日が絡む連休だし、のんびりする」
「うちの会社は仕事始めが九日で楽~。そこはありがたいです」
そう言った私は、ほじり溜めをしたカニの身をお箸で摘まみ、ちょんちょんとカニ酢につけて口に入れる。うまい。
私はカニを食べながらも、これから会社が大混乱になっていく事を予想して、微妙な気持ちになった。
もしも尊さんが言っていたように、亘さんが辞任して、風磨さんが社長になったらどうなるのかな……。
尊さんが部長止まりになっていたのは怜香さんの圧力があったからだ。
風磨さんはむしろ尊さんに、もっと高いポジションになってほしいと思っている。
尊さんが亘さんと親子関係にあるって周知されたら、彼を見る皆の目が変わってくるはずだ。
加えて、仮に彼が部長より上の役職になったら大騒ぎになるだろう。
(彼の事を狙ってたお綺麗どころの先輩、どうなるかな……)
私は考えながら、ひたすらカニをほじり続ける。
「はー……、やっぱりカニって無言になりますね」
ようやくカニを食べ終えたあと、色とりどりの綺麗な小皿に、一口で食べられる料理が載せられた旬菜が出され、壬生菜のお浸しや海老の芝煮、小さな寒鯖の炙り寿司などを、じっくり味わいながら食べていく。
「もし〝御曹司〟だと知った、先輩や他部署の人が迫ってきたらどうします?」
「そんなん相手にする訳ねぇだろが。くだらねぇ事考えるな」
尊さんは心底呆れた顔をし、綺麗な箸使いで茶振りなまこを食べる。
茶振りなまことは、なまこをお茶で湯通しし、臭みを消す下ごしらえをした料理だ。
「…………私がいるからフッちゃいます?」
ニヤニヤして尋ねると、尊さんはお箸を止めて、めっちゃ真顔で私を見てきた。
「な、何ですか、その顔は。『浮かれてる』って呆れてます? いいじゃないですか、ずっと前から両思いなんだし、今は運命のラブラブ恋人ですし……」
焦って言い訳すると、彼はフハッと笑った。
「……お前、可愛いな。アホの子みたいで可愛い」
「アホの子は余計です!」
私はプリプリ怒るふりをしながら、思いっきりニヤついていた。
**
翌朝、私はうなりながらボーッとし、目を閉じたまま手探りをして尊さんを探す。
「んー……、んうぅぅうう……」
指先に彼の体を感じた私は、うなりながら尊さんに抱きつく。
「お前、寝起きはムニャムニャ言ってて、寝ぼけた猫みたいだな」
尊さんはもう起きていて、ベッドのヘッドボードにもたれかかってスマホを見ていた。
「完全に目が覚めるまで、食いたいもんの事でも考えとけ」
「んー……」
そう言われて、私はぽやぽやとしながらご飯について考え始めた。
ご飯の前に、私たちは朝のお風呂にゆったりと入る。なんとも贅沢だ。
「またスイートルーム泊まっちゃいましたね」
「いや、これは親父に払わせる」
きっぱり言うものだから、つい笑ってしまった。
私は背後から抱き締めてくる尊さんの腕を抱き、微笑んで言う。
「色々あっても、亘さんの事を〝親父〟って呼ぶんですね」
「んー……」
そう言うと、彼は少しの間考え、やがて溜め息をついて口を開く。
「あいつに実父としての愛情は求めてないし、頼りにしたいとも思わない。父親という役割を持つ存在、立場上の血縁、社長……、そういう感覚かな」
尊さんの言いたい事はなんとなく分かる気がした。
「縁を切るまでもないけど、繋がりはある?」
「何だろうな。あいつがいなくても生きていけるし、怜香の力が及ばなくなった今、篠宮ホールディングスを出ても誰も俺を邪魔しないだろう。……父親としては失格だし、一人の男としても最低だ。……けど、あいつがいたから俺とあかりが生まれた」
思考を辿るように言った尊さんは、自嘲する。
「世の中、毒親に愛想を尽かして、戸籍を抜いて本当に他人になる奴もいる。俺だってあいつと怜香が両親ならいらねぇよ。……でも」
そこまで言い、彼は息を吸ってしばし止める。
「……俺の心の底にいる母が『人として愛情深く、正しい道を歩め』と言っている。どんなにだらしねぇ最低な父親でも、母は縁を切って捨てる事を望んでいないと思う」
そのあと、尊さんは溜め息混じりに言った。
「……妹は〝おじさん〟に懐いてた。〝おじさん〟の事を好きだと言って、『いつか四人で住みたい』と望んでた。あんな奴でも妹にとっては〝父親〟なんだ。……妹が慕っていたなら、あいつと完全に縁を切って憎む訳にいかない」
私は尊さんの気持ちを汲み、彼の腕をギュッと抱き締める。
すると彼は「ははっ」と笑った。
「……マザコン、シスコンかなぁ……」
「ううん、そんな事ない。……尊さんは理性を失うギリギリのラインで生きてきました。客観的に見ても、いつ非行に走り、自暴自棄になってもおかしくなかった。そんな中、あなたの理性を守り続けたのは、お母さんとあかりさんとの優しい思い出です。確かに、見方によっては縛られていると言えるかもしれません。でも私は、尊さんが人らしく生きてきた事を誇りに思います」
「……サンキュ」
尊さんは小さく笑ってお礼を言ったあと、のしっと私の肩に顎を乗せる。
「これからはお前のために生きていく」
彼の言葉を聞いて、私はジワッと頬を染めた。
「初めて誰かのために生きる事ができるな……。すげぇ幸せな事だ。一人で金を持っていても、愛する人がいないと空しいから。……だから朱里も、幸せになる覚悟をしてくれよ?」
耳元で囁いた尊さんはクスッと笑い、私の頬にキスをしてきた。