部長と私の秘め事
「っ何するの!?」

 取り戻そうとしたけれど、亮平は電話を切ったあと、スマホを自分のコートの右ポケットにしまった。

「返して!」

「危ないからやめろ」

 手を伸ばそうとしたけれど、リーチの長い左腕で防がれ、今は運転中なのだと思いだして諦めた。

「…………最悪」

 私は吐き捨てるように言い、また横を向くと悔し涙を乱暴に拭う。

 しばらく、二人とも無言になった。

「……結婚相手、尊っていうのか?」

 尋ねられたけど、私は亮平の言葉を無視する。

 話しているうちに車は進み、多摩川を越えて川崎市に入っていた。

「……乱暴な真似をしたのは悪かったって」

「ならスマホ返して」

「……今は俺と話をしてるんだろ?」

「……うっざ」

「子供みたいな反応、やめろよ。二十六歳だろ」

「申し訳ございませんでした。以後気をつけます。ところで、一方的に貴重品を取り上げておきながら、会話を強要するのは如何なものかと思います。ご自分のしている事がパワハラだと気づいていらっしゃいますか?」

「……あのなぁ……」

 亮平は疲れたように溜め息をつき、髪を掻き上げる。

 またしばらくしたあと、私は心から疑問に思っている事を言った。

「……なんで私に構うの? 今まで無関心だったなら、それを貫いてよ。結婚するって知ったからって、ちょっかい掛けてこないで」

 まじめなトーンで言ったからか、亮平も本音で返してくる。

「……びっくりしたんだよ。……去年フラれたのを引きずってたのに、急に付き合ったと思ったら結婚する? ……俺の知らないところで何があったのか、ついていけなかった」

「私がどう過ごしてるかなんて、亮平に報告する義務はないでしょ。〝家族〟としてなら、今日これから家でちゃんと伝えるつもりだった。それじゃ駄目なの? なんでいきなり行き先を変えたの?」

 亮平はしばらく黙ったあと、深い溜め息をついた。

「……このままじゃ駄目だと思った。朱里と中途半端な関係のまま、結婚して離れるのは嫌だった」

「こんな強引な事をして好かれるとでも思った? 中途半端な関係ってなに? 兄妹でしょう? 元彼みたいな言い方するのやめてよ」

 冷たく言うと、亮平はドリンクホルダーに置いていたコーヒーを飲んだ。

「……俺には朱里みたいなまっすぐな強さがない。朱里は逆境においても凜と咲く花みたいな魅力がある。そういうところに惹かれたし、どうやったらそんなに強くいられるのか知りたかった。……もっと話したかったんだよ」

「……ならそう言えばいいじゃない。私はエスパーじゃないから察する事はできない。兄妹として話したいって言ってくれたなら、いつでも応じたのに」

 これで、ようやく本音で話せるんだろうか。長かったし、疲れた。

「……俺はお前の強さと綺麗さに怯えていたかもしれない。正面から話せば、俺がほの暗い劣情を抱いているのを見透かされ、否定され、拒絶されるかと思っていた」

「……今さらでしょ」

 ――それに私は、まったく強くなんてない。

 ――おかど違いの理想像を押しつけられても困る。
 ボソッと突っ込むと、亮平は小さく笑った。


「真剣に『好きだ』と言ったら、どう答えていた?」

 尋ねられた私は、気持ち悪さを押し殺し、視線を落として応える。

「どこが好きなのか分からない。亮平は自分が思っているより私を知らないと思う。私も亮平に自分の事を話してない。なのに『好き』って言われても、それは本当の恋じゃない」

「……確かにそうだな。『好き』ではなかったのかもしれない」

 亮平は疲れたように溜め息をつき、自嘲する。

「……憧れなのかな。初めて会った時、朱里はまだ十六歳なのにどこか達観したような雰囲気があって、ただの高校一年生じゃないと思った。お前は初対面の〝新しい家族〟を前にしても動じず、ヘラヘラせずに大人びた対応を貫いていた。それが印象的だった」

「……十六歳が大人びてるって言っても、たかが知れてるでしょ。挨拶の時、私はただ緊張してただけ」

「家に帰って『可愛い子だったな』って親父と話してたら、美奈歩が不機嫌になったな」

 そりゃそうだ。

 美奈歩は自分なりに、実母を喪ったあと『自分が母の代わりに頑張らないと』と思っていたんだろう。

 継父は『美奈歩は食事の支度やお弁当作りを頑張ってくれていた』と言っていた。

 なのにいきなり知らない〝母〟と〝姉〟が現れて、『家事は私がやるからね』と美奈歩のやりがいを奪っていった。

 きっと実母から教わったレシピがあっただろうに、〝家庭の味〟は新しい母の味になっていった。

 さらに自慢の兄は、愛想のない〝姉〟を一人の女として気にしている。

 美奈歩としては、気に食わない女たちが実母との思い出が詰まった家にズカズカ上がり込み、土足で大切な思い出を穢したように感じたんだろう。

 申し訳ないとは思う。でも、私たちだってどうしようもなかった。

 あの子にも一応良識はあったから、父を困らせないように新しい母には反抗しなかった。

 その代わり、美奈歩は見えないところで私に当たるようになったのだ。

「……あのさ、美奈歩にとって亮平は〝自慢のお兄ちゃん〟なの。それをちゃんと分かってあげてよ。亮平が血の繋がってない私を気にしてたら、美奈歩が嫉妬するって考えなかった?」

「実の妹が継姉に嫉妬するって変だろ」

 亮平は少し驚いたように言う。
「だから~。美奈歩はブラコンなの! そこに男女の愛情はなくても『大好きなお兄ちゃんだから、自分が認めた女性じゃないと許さない』っていう感情があるの」

 ここまで鈍くて許されるものなのか。

「継姉であっても、私は血が繋がってない他人。〝家族〟になっても、美奈歩が認めない限り、私は彼女の〝姉〟には一生なれないの。同じように亮平だって私を〝妹〟として見てくれていない。だから私も壁を感じて、いつまで経っても二人に慣れない」

 苛立った私は、乱暴に溜め息をつく。

「前から思ってたけど、亮平って鈍いよね。鈍感。こういう言い方するのは悪いけど、別れた彼女にもそういうところを指摘されなかった?」

 そう言うと、彼はしばらく黙っていた。

「……『私の事を見てない』って言われた」

 うわぁ……。それってもしかして……。自惚れじゃなかったら……。

「確かに、俺はいつも朱里の事を考えていた」

「もおおおおおおおおおお……!」

 私は牛か! ってぐらいうなり、助手席で地団駄を踏む。

(もうやだ……。疲れた……)

 ぐったりとヘッドレスとに頭を預けて脱力した時、車は中華街近くの駐車場に停まった。

「行くぞ」

「…………食欲ないよ…………」

 うんざりして言うけれど、亮平は車から降りてしまう。

「はぁ……」

 私は大きな溜め息をついて助手席から降りた。
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