部長と私の秘め事
新年会
やがて金曜日になり、新年会となる。
十八時半の予約に合わせ、フロアの皆は十八時前には退勤していた。
私は恵と一緒に会社を出て、人形町にあるイタリアンバルへ向かう。
お店は和も取り入れた創作イタリアンらしく、今からとても楽しみだ。
現地に着くと、レンガ造りの小洒落た店の外に、ワイン樽が置かれてあるのが見えた。
オレンジ色の光が点いた店内からは活気のある声が聞こえ、美味しそうな匂いも漂ってきている。
新年会は二階を貸し切りにしているらしく、私たちはスタッフに案内されて階段を上がった。
「あー、上村さんと中村さん、来た! こっちおいで」
コートをハンガーに掛けていると、綾子さんが手招きしたのでそちらに向かう。
ソファに座ると、近くにいた先輩がドリンクメニューを見せてくれた。
「飲み会はかったるい時もあるけど、美味しいもんを食べられるのが楽しみだよね」
恵がボソッと言い、私は「わかりみ深太郎」と頷く。
尊さんは離れた席に座っていて、人に囲まれ穏やかに笑っている。
一瞬目が合ったような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。
やがて時間になり飲み物が運ばれてきたあと、尊さんが挨拶に立った。
「あー、今さらだけど、あけましておめでとう。今年もみんな元気に新年会に出席してくれて嬉しく思ってます。何かと情勢的に楽観できない状況ではあるけれど、今年もまずコツコツと自分の仕事をこなしていこう。ヒット商品が生まれますように! 今年もよろしくお願いします! 乾杯!」
彼がビールのジョッキを掲げるとみんなが「乾杯」を言い、近くにいる人たちとジョッキやグラスを合わせる。
尊さんの周りにいた人たちは、こぞって彼と乾杯したがっていて、私はそれをジトー……とした目で見ていた。
「まぁ、食えって」
私の心境を察した恵がケラケラ笑い、テーブルに置かれた前菜を示す。
「食いますよ」
そのあと、私は前菜盛り合わせをつまみつつ、恵に引っ越しの事を話した。
「いーんじゃない? 私も手伝うよ。朱里の引っ越しはいつもの事だけど、これが最後になるかもね」
「ありがと。で、今回は荷物を運ぶの、彼が業者を手配してくれるって」
「ん、そっか。そのほうが筋が通っているかもね」
恵はそれ以上深い事は聞かず、私は彼女の理解に感謝する。
ここでは〝部長〟とも〝尊さん〟とも言えないので、〝彼〟と言う事にした。
「明日、彼がうちに挨拶に来るらしくて、ちょっと緊張してる」
「そうなんだ。こないだは図らずも横浜行きになったんだっけ? 今度は上手くいくといいね」
恵には先日の亮平乱入事件も話していたので、彼女は生ぬるい笑顔で言う。
「うん。……刀削麺は美味しかったけどね」
「あはは! さすがただでは転ばない、胃袋魔人!」
そんな感じで恵と話していたけれど、途中から綾子さんが「飲んでるー?」と向かいの席に座った。
「あっ、どうも。美味しくいただいてます」
私はペコリと綾子さんに会釈する。
「ねー、見て! 速水部長ったら、今日も格好いいったら。飲み物がビールじゃなくてウイスキーやワインってのも、大人の男って感じだよね~」
「ですねー」
私は話を合わせつつ、内心では『尊さんがそういうお酒を飲んでる理由を、私は知ってる……』とどや顔してしまう。
『酒は美味いけど、なるべくカロリーの低い酒を飲む習慣をつけてる』
プロフェッショナル速水尊は、健康志向の男なのだ。
とは分かっているものの、私は甘いカクテルや梅酒をガブガブ飲んでやる。わはは。
「速水部長って無駄のない体をしてるでしょ? きっとカロリーにも気を遣ってると思うんだよね。だからってわけじゃないけど、私もワインに詳しくなろうと思って最近勉強してるの」
「綾子さんは女の鑑ですね~。私は好きな人の趣味に合わせて、普段興味のないものを勉強しようと思わないな」
恵の言葉の裏に、『自分は好きな男色に染まるつもりはない』と言っているのが見え隠れしている。
それを知ってか知らずか、綾子さんはニコッと笑って言った。
「そう? 私は人生は常に勉強だと思ってる。興味を持っていなかった事でも、何かきっかけがあったら柔軟に受け入れると、人生が豊かになると思うの」
「凄いですね」
思わず言った言葉は本心だ。
綾子さんは確かにミーハー気質だし、流行りものを追いかけていて、高価なものを好み、派手に浪費している自分に陶酔している感じがある。
それを『自分の軸がない』と嫌う人はいるだろう。
でも綾子さんにも矜持はあり、彼女は自分の美学のもとに生きている。
彼女は積極的に合コンに行き、自分の人生をグレードアップさせてくれる男性をゲットするために、自分磨きをしていい女であろうとしている。
大きな目的――幸せな結婚生活のために、様々な事にチャレンジする生き方は、私にはできない事だ。
恵の嫌みともとれる言葉に怒るでもなく、サラリと自分の生き方を説明した綾子さんは格好良かった。
同時に、その姿を見てジワリ……と胸の奥に黒い物が広がる。
――私は綾子さんに嫉妬している。
――何だかんだ言って綾子さんが魅力的な人だと分かっているから、脅威だと思っていて、いつ尊さんをとられるかビクビクしている。
――だから恵がちょっと馬鹿にしたように言うのを聞いて、少しいい気分になってるんだ。
――綾子さんには〝嫌な人〟でいてほしいから。
(……情けない)
〝分かって〟しまった私は、飲み会のさなかだというのに、ズン……と落ち込んでしまった。
「ごめんなさい、ちょっとお手洗い行ってきます。お酒美味しいから、調子に乗って飲み過ぎちゃったみたい」
私は気持ちを切り替えるため、一度席を立つ事にした。
「いってら」
恵はヒラヒラと手を振り、私はバッグを持ってトイレに向かった。
フロアを出る時にチラッと尊さんを見ると、彼は周囲の人と話して微笑しながら、私に視線を走らせたところだった。
「あー、もう、速水部長好きだわー! 結婚してくれ!」
酔っぱらった男性社員の声がし、皆がドッと笑う。
つられて笑った私は、溜め息をついてから階段に向かった。
「はー」
用事を終えて鏡を見ると、顔が赤い。でもまだ飲める。
(分かってはいたけど、同じ職場にいるのに尊さんと気軽に話せないってストレスだな)
仕事中はそう思わないけれど、飲み会になると『私の尊さんなのに……』と嫉妬してしまう自分がいるのに気づく。
男性社員や、彼に恋愛感情を抱かない人、年上の人にまで嫉妬する必要はない。
なのに私は尊さんと同じ場所にいるのに、彼の隣にいられない事に疎外感を得ていた。
(駄目だな、子供っぽい。尊さんに呆れられる)
私は溜め息をついたあと、トイレに誰もいないのを確認してから、「あっかるーいあっかるーい朱里ちゃんっ!」と歌いながら踊り、パンッと頬を叩いた。
「よっしゃ」
気合いを入れてトイレから出た時――。
「よう」
係長が目の前に立っていて、驚きのあまり悲鳴を上げそうになった。
十八時半の予約に合わせ、フロアの皆は十八時前には退勤していた。
私は恵と一緒に会社を出て、人形町にあるイタリアンバルへ向かう。
お店は和も取り入れた創作イタリアンらしく、今からとても楽しみだ。
現地に着くと、レンガ造りの小洒落た店の外に、ワイン樽が置かれてあるのが見えた。
オレンジ色の光が点いた店内からは活気のある声が聞こえ、美味しそうな匂いも漂ってきている。
新年会は二階を貸し切りにしているらしく、私たちはスタッフに案内されて階段を上がった。
「あー、上村さんと中村さん、来た! こっちおいで」
コートをハンガーに掛けていると、綾子さんが手招きしたのでそちらに向かう。
ソファに座ると、近くにいた先輩がドリンクメニューを見せてくれた。
「飲み会はかったるい時もあるけど、美味しいもんを食べられるのが楽しみだよね」
恵がボソッと言い、私は「わかりみ深太郎」と頷く。
尊さんは離れた席に座っていて、人に囲まれ穏やかに笑っている。
一瞬目が合ったような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。
やがて時間になり飲み物が運ばれてきたあと、尊さんが挨拶に立った。
「あー、今さらだけど、あけましておめでとう。今年もみんな元気に新年会に出席してくれて嬉しく思ってます。何かと情勢的に楽観できない状況ではあるけれど、今年もまずコツコツと自分の仕事をこなしていこう。ヒット商品が生まれますように! 今年もよろしくお願いします! 乾杯!」
彼がビールのジョッキを掲げるとみんなが「乾杯」を言い、近くにいる人たちとジョッキやグラスを合わせる。
尊さんの周りにいた人たちは、こぞって彼と乾杯したがっていて、私はそれをジトー……とした目で見ていた。
「まぁ、食えって」
私の心境を察した恵がケラケラ笑い、テーブルに置かれた前菜を示す。
「食いますよ」
そのあと、私は前菜盛り合わせをつまみつつ、恵に引っ越しの事を話した。
「いーんじゃない? 私も手伝うよ。朱里の引っ越しはいつもの事だけど、これが最後になるかもね」
「ありがと。で、今回は荷物を運ぶの、彼が業者を手配してくれるって」
「ん、そっか。そのほうが筋が通っているかもね」
恵はそれ以上深い事は聞かず、私は彼女の理解に感謝する。
ここでは〝部長〟とも〝尊さん〟とも言えないので、〝彼〟と言う事にした。
「明日、彼がうちに挨拶に来るらしくて、ちょっと緊張してる」
「そうなんだ。こないだは図らずも横浜行きになったんだっけ? 今度は上手くいくといいね」
恵には先日の亮平乱入事件も話していたので、彼女は生ぬるい笑顔で言う。
「うん。……刀削麺は美味しかったけどね」
「あはは! さすがただでは転ばない、胃袋魔人!」
そんな感じで恵と話していたけれど、途中から綾子さんが「飲んでるー?」と向かいの席に座った。
「あっ、どうも。美味しくいただいてます」
私はペコリと綾子さんに会釈する。
「ねー、見て! 速水部長ったら、今日も格好いいったら。飲み物がビールじゃなくてウイスキーやワインってのも、大人の男って感じだよね~」
「ですねー」
私は話を合わせつつ、内心では『尊さんがそういうお酒を飲んでる理由を、私は知ってる……』とどや顔してしまう。
『酒は美味いけど、なるべくカロリーの低い酒を飲む習慣をつけてる』
プロフェッショナル速水尊は、健康志向の男なのだ。
とは分かっているものの、私は甘いカクテルや梅酒をガブガブ飲んでやる。わはは。
「速水部長って無駄のない体をしてるでしょ? きっとカロリーにも気を遣ってると思うんだよね。だからってわけじゃないけど、私もワインに詳しくなろうと思って最近勉強してるの」
「綾子さんは女の鑑ですね~。私は好きな人の趣味に合わせて、普段興味のないものを勉強しようと思わないな」
恵の言葉の裏に、『自分は好きな男色に染まるつもりはない』と言っているのが見え隠れしている。
それを知ってか知らずか、綾子さんはニコッと笑って言った。
「そう? 私は人生は常に勉強だと思ってる。興味を持っていなかった事でも、何かきっかけがあったら柔軟に受け入れると、人生が豊かになると思うの」
「凄いですね」
思わず言った言葉は本心だ。
綾子さんは確かにミーハー気質だし、流行りものを追いかけていて、高価なものを好み、派手に浪費している自分に陶酔している感じがある。
それを『自分の軸がない』と嫌う人はいるだろう。
でも綾子さんにも矜持はあり、彼女は自分の美学のもとに生きている。
彼女は積極的に合コンに行き、自分の人生をグレードアップさせてくれる男性をゲットするために、自分磨きをしていい女であろうとしている。
大きな目的――幸せな結婚生活のために、様々な事にチャレンジする生き方は、私にはできない事だ。
恵の嫌みともとれる言葉に怒るでもなく、サラリと自分の生き方を説明した綾子さんは格好良かった。
同時に、その姿を見てジワリ……と胸の奥に黒い物が広がる。
――私は綾子さんに嫉妬している。
――何だかんだ言って綾子さんが魅力的な人だと分かっているから、脅威だと思っていて、いつ尊さんをとられるかビクビクしている。
――だから恵がちょっと馬鹿にしたように言うのを聞いて、少しいい気分になってるんだ。
――綾子さんには〝嫌な人〟でいてほしいから。
(……情けない)
〝分かって〟しまった私は、飲み会のさなかだというのに、ズン……と落ち込んでしまった。
「ごめんなさい、ちょっとお手洗い行ってきます。お酒美味しいから、調子に乗って飲み過ぎちゃったみたい」
私は気持ちを切り替えるため、一度席を立つ事にした。
「いってら」
恵はヒラヒラと手を振り、私はバッグを持ってトイレに向かった。
フロアを出る時にチラッと尊さんを見ると、彼は周囲の人と話して微笑しながら、私に視線を走らせたところだった。
「あー、もう、速水部長好きだわー! 結婚してくれ!」
酔っぱらった男性社員の声がし、皆がドッと笑う。
つられて笑った私は、溜め息をついてから階段に向かった。
「はー」
用事を終えて鏡を見ると、顔が赤い。でもまだ飲める。
(分かってはいたけど、同じ職場にいるのに尊さんと気軽に話せないってストレスだな)
仕事中はそう思わないけれど、飲み会になると『私の尊さんなのに……』と嫉妬してしまう自分がいるのに気づく。
男性社員や、彼に恋愛感情を抱かない人、年上の人にまで嫉妬する必要はない。
なのに私は尊さんと同じ場所にいるのに、彼の隣にいられない事に疎外感を得ていた。
(駄目だな、子供っぽい。尊さんに呆れられる)
私は溜め息をついたあと、トイレに誰もいないのを確認してから、「あっかるーいあっかるーい朱里ちゃんっ!」と歌いながら踊り、パンッと頬を叩いた。
「よっしゃ」
気合いを入れてトイレから出た時――。
「よう」
係長が目の前に立っていて、驚きのあまり悲鳴を上げそうになった。