部長と私の秘め事
「面倒かもしれないけど、一日一回水を替えてあげると長持ちするから」

「分かりました。ちゃんとお世話します」

「今日、これから用事があるから、俺がサッとやっちゃうな」

 そう言って、尊さんは洗い物用のボウルに水を張り、紙袋に入っていた花鋏で花の茎の下をパチンパチンと斜めに切っていった。

「これ、水切りっていって、必ず水の中で切ってやってくれ。空気に触れると水を吸う管に空気が入って、うまく水を吸えなくなる。斜めにやるのは面積を広くするため。繊維を横にぶつ切りするより、斜めのほうが切れやすいってのもある」

「へえ!」

 感心した私は、突然始まった速水フラワー教室に真剣に耳を傾ける。

「長持ちさせる栄養剤も持ってきてるけど、一番は毎日水を替える事。植物であっても生き物だから、放っておくと水中にバクテリアが増えて管が詰まり、吸水が悪くなる。だから可能なら毎日水を替えて一、二センチ水切りしてやるとベストだ」

「分かりました。お花、習ってたんですか?」

 尊さんは手早く水切りを終えると、花を花瓶に生けてバランスを整える。

「一応、お茶も含めて基本は習ったよ。こういうのは華道っていうよりアレンジメントだけど」

「あっ、なるほど」

 確かに篠宮家のお坊ちゃまなら、お茶やお花に精通していてもおかしくない。

 幾ら彼が怜香さんに冷遇されていたとしても、亘さんが教えておくべきマナーや嗜みなどは一通り教えたんだろう。

(という事は風磨さんもそういうのできていて、エミリさんも秘書としてマナーを学んでそうだよなぁ……)

 私は風磨さんカップルを思いだし、うんうんと頷く。

「……そういえば、三ノ宮春日さん、その後なにか言ってきました?」

「えっ? なんで急に彼女? ……あぁ、習い事関連で連想ゲームしたか?」

 彼は一瞬驚いたあとにすぐ納得し、花瓶を飾るのに一番良さそうな場所を探しつつ言う。

「一応連絡先は交換したけど、特に連絡はない。以前彼女が言った通り、貸しを返してほしいならビジネスのほうだろうし、連絡があるとすれば会社にだと思う」

「……なら良かった」

 日陰に花瓶を置いた尊さんは、ホッと溜め息をついた私を見て微笑む。

「……妬いた?」

「……妬きますよ。尊さんの周りはいつも美女ばかりですもん」

 少し唇を尖らせて言うと、彼は私を抱き締めてチュッと額にキスをしてきた。

「正直、三ノ宮さんは怖くて付き合えねぇよ。確かに美人だけど、結婚したら絶対尻に敷かれるな」

(結婚した時の事なんて、ちょっと考えたんだ)

 それだけでもジリジリしてしまった私は、尊さんから視線を逸らす。

 すると彼はクスッと笑い、私の頭を撫でてきた。

「俺の頭の中は朱里で一杯なのに、お前はこうやって妬いてくれるんだもんな。可愛くて食っちまいたいな。このモチモチほっぺとか」

 そう言って尊さんは、はむはむと私の頬を食んできた。

「やだ、もう。基礎化粧品塗ったあとなんですから、お腹壊しますよ」

 私はクスクス笑いながら、両手で彼の胸板を押す。

「おっと、ゆっくりしてられなかった。あと三十分だけど、準備大丈夫か?」

「そうだ! 超特急でメイクしてきます!」

 私はピッと敬礼したあと、ベッドルームにあるドレッサー前に座り、女優ライトをつける。

「そこ、設備すげーな。プロみたいだ」

「ライトびっかびかだと、メイクしやすいんですよ。顔に影が入っちゃうところだと、チークの左右差が分からなくなったりとか、微妙に不便なんです。あとこれ。拡大鏡も必須」

 丸いスタンド式の拡大鏡を見せると、尊さんはそれを覗き込み「おっ」と小さく声を出す。

「あはは! 毛穴の一つ一つまでよーく見えるでしょ。肌のコンディション確かめるのに最適ですし、アイメイクにも便利なんですよ。もう普通の鏡でアイメイクできなくて……」

 言いながら、私は日焼け止め、下地をつけてティッシュオフし、フィックスミストを含ませたスポンジで顔をはたいてから、カラーコントロール、コンシーラーを塗ってティッシュオフ、フィックスミストをし、ファンデーションを塗り、パウダーをはたく。

 動画で見たけど、こうやってミルフィーユ方式にする事で、メイクが落ちにくくなるそうだ。

 服はブルーの縦リブニットに黒いロングタイトスカートを穿いていて、あとは顔を作るだけだ。

「化粧品関係、沢山収納できる家具を買ったほうがいいよな」

 尊さんはベッドに座り、私がメイクする様子を見ながら言う。

「んー、でも新しく家具を買ってもらうの悪いですから、これをこのまま持ってきますよ?」

「まぁ、思い入れもあるだろうから、その辺は要相談だけど。でも使えるスペースが広くなる事を考えて、もっと沢山置ける事も念頭に置いてくれよ? 可能な限り、朱里が過ごしやすい理想の家にしたいと思ってるから」

「ありがとうございます。……へへ、尊さんと暮らせるの夢みたい」

 私は会話をしながらハイライトとシェーディングを塗り、服の色に合わせたアイシャドウパレットを開き、筆を使い分けてアイメイクをしていく。

 アイホール全体に薄い色を乗せ、目尻に濃い色、目頭に明るい色、ラメ、涙袋……とやっていると、尊さんが溜め息混じりに言う。

「女子はすげーなぁ。化粧ってセンスやテクニックが問われると思うし、シンプルにすげぇと思うよ」

「んふふ、尊さんってイケメンだから、お化粧したら映えそう」

「おい……」

 悪戯っぽく言うと、彼は苦笑して項垂れる。

「でも基礎化粧品は使ってるんでしょ?」

「だな。冬は乾燥するし、夏もエアコンがあるから気をつけてる。美容目的じゃなくても、仕事相手に荒れた肌を見られて『不摂生してる』って思われたらやだし」

「速水部長は、本当に綺麗な顔をしてますからねぇ~。速水尊の尊は、ご尊顔の尊」

「拝むな」

 突っ込まれ、私はケタケタ笑う。

 その間、アイラインを引き、マスカラベースを塗って乾かす間に眉をやる。

 眉はもともと濃い目なので少し整える程度に描き足し、アイブロウマスカラを塗って色を馴染ませる。こうすると、地毛の黒眉より柔らかい印象になる。

 私は睫毛にマスカラを塗りながら、不意に思いだした事を口にした。

「……私、加代さんとか春日さんみたいに、優しげな顔立ちの女性に憧れていたんです」

「朱里は美人なのにな?」

 褒めてもらえて嬉しく、少し笑うけれど、ずっと抱えていたコンプレックスは根深い。

「学生時代、愛想がなかった事は話したでしょう? それでツンと澄ました顔に見えるのか、女子には余計嫌われてました。時々、奇特な人にはスキンケアの方法とか聞かれましたけど」

「確かに、愛嬌があるっていうより、近寄りがたさのある美人だよな。話したらこんなに楽しいけど」

「んふふ。私を敬遠していた女子たち、私が『しゅきぴ』って言ってるの、想像すらできないだろうなぁ」

「朱里がこんなに可愛い子だって、俺だって沢山の人に共有してぇよ。……いや、でもアカリストが増えたら困るな」

「あはは! アカリストってなんですか! じゃあ、私はハヤミスト」

「それ、うちの親戚も入るから」

「確かに!」

 最後にサッサッとチークを塗った私は、リップを塗って「おーわり!」と言って立ちあがり、ライトを消した。

「よし、じゃあ行くか」

「はい!」

 元気よく返事をした私は、コートを羽織りマフラーを巻く。

 そのあと、マンションの近くにある有料駐車場まで歩き、尊さんの車に乗って実家へ出発した。



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