部長と私の秘め事
「でも私、秘書なんてやった事ありません。初心者の私が副社長のサポートをして、取り返しのつかない失敗をしたら、申し訳ないじゃ済まないです。エミリさんは副社長秘書だけど、以前から秘書として働いていた彼女と私とでは、実力に雲泥の差がありすぎます」

 言ったあと、私は苦しげに付け加える。

「それに『兄弟そろって職場で公私混同するな』って陰口叩かれそうな気がします……」

 尊さんは溜め息をつき、椅子の背もたれに身を預けて言った。

「エミリに言えば、喜んで仕事を教えてくれるんじゃないか? あいつ、あのあとも『朱里さんとデートしたい』ってちょいちょい言ってきてるし、話せば好意的に接してくれると思うぜ」

「えっ!? そうなんですか!? 知らなかった……」

 初耳だったので目を丸くして言うと、尊さんは少し嫌そうな顔で白状する。

「俺だって朱里充できてないのに、何が悲しくてエミリとデートさせないとなんねぇんだよ……」

「朱里充って……」

 私は思わず、肩の力を抜いて笑う。

「ま、不安になるのは分かるけど、誰だって異動すれば慣れない仕事に直面する。資格がないとできない仕事じゃないし、エミリから教えてもらって学べば十分こなせると思うけど」

「……そう、でしょうか……」

「それに、他の奴がどう思うかは気にするな。『気にするな』って言っても、朱里は注目される事になれてねぇから、最初からガン無視できるわけがない。副社長の相手となれば、どうしても周りの目が気になっちまうよな」

 言われて、私はコクンと頷く。

「けど篠宮家が家族経営して、若い風磨が副社長になってるのだって、他の役員から見れば身内びいきみたいなもんだ。エミリだって〝王子様〟の相手として嫉妬されてるだろう。……でもそういうの、気にしたらキリがねぇんだ。『私みたいなのがすみません』って卑屈な想いを抱いてしまうと、これから接する全員に遠慮しないとならなくなる。でも社員全員が朱里に嫉妬し、敵視してくると思うか? 俺はそんなに人気者だと思うか? 女性社員は俺なんぞより、イケメン俳優やアイドル、二次元の推しのが好きだろ」

 そう言われて「尊さんは魅力的だから!」と言いたくなったけど、「うー……」と悩む。

 普通に考えたら〝全員〟が敵になるなんてあり得ないだろう。以前に尊さんだって、2:6:2の法則を教えてくれた。

 私に嫌な事を言ってくる人がいたとしても二割にすぎず、残り八割はどうでもいいと思っているか、私と尊さんの関係を祝福してくれるだろう。

 でも、陰口を叩かれるのはしんどいなぁ……。

 黙っていると、尊さんは穏やかに笑う。

「ぶっちゃけ、どんな状況に身を置いても、誰かには理不尽に嫌われてるもんだ。俺だっていい部長でいたいと思っているけど、嫌ってる奴は男女問わずいるよ」

 まさか尊さんが嫌われていると思わず、私は「そんな……」と呟く。

 いや待て。私も彼を嫌ってた当人だ。

 けれど彼はまったく気にしていない表情で笑った。

「気持ちは分かる。でも大事な事を見失うなよ? 朱里にとって一番大切なのは、俺と結婚して幸せな生活を送る事だ。他の誰かに遠慮して、俺と付き合うのをやめるか?」

 私はプルプルと首を横に振る。

「同じ会社で働き続けたいなら、秘書の件は一案として考えてくれ。他の案は子会社に移るか、まったく別の会社に再就職するか、専業主婦になるか……になると思う」

「確かに、そうですね……」

 ずっと感情論で考えていたけれど、現実的な問題を思えばそういう選択肢になるだろう。

「俺は朱里を守ると決めた。もしも秘書になって嫌がらせをされたら、ちゃんと対応するし、プライベートでも精神的なケアをする。……朱里も、俺と一緒に歩む覚悟を持ってくれないか?」

 優しい目で見つめられ、心の中にゆっくりと覚悟が宿っていく。

「……そうですね。周りに遠慮していたら幸せなんて掴めません」

「他の奴に遠慮して自分の幸せを喜べなくなったら、人生を楽しむ事すらできなくなる。朱里に何やかや言う奴は、朱里の人生に責任を持たない。そいつらの言葉に耳を貸して幸せになれると思うか?」

「いいえ」

 私はきっぱりと言い、首を横に振った。

「なら、気にするな。代わりに朱里の人生に責任を持ち、絶対に幸せにすると決めた俺の言葉を信じてほしい。今なら永久保証つきだ」

「……んふふ、はい!」

 頷いたあと、尊さんは安心したように小さく息を吐いた。

「まぁ、秘書の件は『そうなるかもしれない道の一つ』として捉えてくれ。今すぐ真剣に悩まなくてもいい。一気に言い過ぎて悪い。不安にさせたかったわけじゃない」

「いいえ」

 私はグルグル考えていた思考を止め、小さく息を吐く。

「家賃からの流れで言いたかったのは、『結婚するし一緒に暮らすんだから遠慮しなくていい』っていう話なんだ。……ただ、お前が家賃を払う思考になっちまうのも、ある程度分かるけどな。……朱里、人に甘えるの下手だろ」

 図星を突かれ、私は目を丸くした。

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